Last Update 2017.11.22

Interview

謎多きAhh!FollyJetの過去と現在を紐解く 〜 高井康生 インタビュー〜

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Ahh! Folly Jetの新しい7インチ『犬の日々』が出ると聴いて、ちょっと頭の中が興奮して混乱した。Ahh! Folly Jetこと高井康生が、ミュージシャンとしてその後も精力的に活動していることは知っていたが(DCPRGのギターや、「暦の上ではディセンバー」のアレンジなどで)、Ahh! Folly Jet名義での音源となると何年もさかのぼらなくてはいけない。

だが、かくも長き不在を続けながら、Ahh! Folly Jetの存在はエーテルのようにときどき目の前にふわっと現れ、消せない印象を残していった。イルリメとTraks Boys(XTAL+K404)のユニットである(((さらうんど)))の曲「冬の刹那」(2012年)は、2000年発表のAhh! Folly Jet「ハッピーバースデー」インスト・ヴァージョンにあらたな歌を載せたものだった。また、ceroの高城晶平はときおり行うソロ・ライヴで「ハッピーバースデー」を好んでカヴァーしている。

ところが、今年の6月にはHALFBYの「SLOW BANANA」12インチに、“XTAL & Ahh! Folly Jet Remix”収録とのニュースが飛び込んできた。7月に江ノ島OPPA-LA、8月には京都METROで行われたHALFBYのリリース・パーティーでは、Ahh! Folly Jetのライヴも敢行されたという。あれ? これはもはや活動再開? そう戸惑っているうちに、MAD LOVE RECORDSから新曲の7インチ「犬の日々」の発売が告知されたのだった。

「犬の日々」は、不思議なくらいかつてのAhh! Folly Jetと地続きで、ぽっかり空いていたはずの時間をするっと埋めてしまう感覚があった。流行も技術も変わったはずなのに、何にも左右されない「今」があって驚く。まるで、どこかの時代に属することを忘れてしまい、永遠にやり場のないソウル・ミュージック。だが、だからこそ、Ahh! Folly Jetの音楽は迷子みたいにとてもせつなく、ロマンティックに響く。「犬の日々」は、そのことをあらためて確認させてくれる作品だった。

この機会に、謎の多いAhh! Folly Jetの過去と現在をひもとくべく、高井さんに話を聞いた。後半では、高井さんが持ってきてくれたいろいろなレコードも聴きながら。

 

取材/文:松永良平
撮影:江森丈晃
撮影協力:udo

 

──Ahh! Folly Jet単独のリリースとしては、シングル「犬の日々」は何年ぶりになるんでしょうか?

高井康生 単独としてはCD『アバンダンド・ソングス・フロム・リンボ』(2000年)以来なので、17年ぶりになります。コンピレーションへの参加だと、今回のシングルのB面になっている「指切り」が収録された『Niagara AUTUMN&WINTER ~Niagara Cover Special~』(2007年)が最後ですね。

──Ahh! Folly Jetの音源を伝説的な存在として知ってはいても、もっと高井さんの発言など、いろいろ知りたいと思ってる人は少なくないと思うんです。なので、今回は高井さんのこれまでの音楽人生をひもとかせてください。

高井 はい。僕が知ってることはできるかぎりしゃべります。

──ご出身はどちらなんですか?

高井 そんなところから掘るんですね。20歳からはずっと東京なので、一番長く暮らしてるのは東京ですね。でも、生まれたのは宮城県で、4歳まで神奈川県川崎市、以降は20歳で上京するまでは鎌倉です。

──高井さんは1969年生まれですよね。少年時代の音楽体験としては、僕(1968年生まれ)と近しいのかなと思うんですが。

高井 高校で町田の和光学園に進学して鎌倉から通っていたのですが、そこで初めてモッズコートを着た人やUKのギターポップが好きな人を見た感じですかね。地元にはそんな子いなかった。パンクスはいたけどね。当時の自分はロックだけでなく、ソウルやジャズとかのブラック・ミュージックを聴き出したり、宅録を始めた時期でしたね。通学の最寄駅の藤沢に、楽器屋とリハスタとライブハウスが一緒になった建物があって、そこにたむろしていた子供でした。

 

 

──宅録では、どういうことをしていたんですか?

高井 カセットMTRで多重録音です。その頃の宅録ヒーローが、トッド・ラングレン。彼は作曲、演奏、レコーディングと全部ひとりでやっているイメージだったし、当時は「スタジオも自分で建てたし、ミキサーの配線も自分でやった」と言われていたので、「こ~れは究極の“サウンド&レコーディング・マガジン野郎”だ」と思ってました(笑)。あとあと出た本を読むと、そこまでではなかったらしいんですけどね。でも、あのワンマンバンド・スタイルの制作術や、カラフルな楽曲群、魔法使いっぽいイメージなんかは、当時すごく萌えて。で、アレンジと録音の勉強を兼ねて、主に洋楽のいろんな曲を宅録で再現してみるということをしてました。

──耳コピで?

高井 はい。子どもの頃にクラシック・ピアノをやってて絶対音感があったので、和音の聴き取りがなぜかちょっと出来たんですね。田舎の子供ピアノ教室のレベル内では優秀だった程度ですが。でも、テンション2つくらいまでは聴き取れるので、曲のコピーをしやすかった。

──当時宅録で作った作品をどこかにアウトプットされたりはしていなかったですか?

高井 いま訊かれて突然思い出したのですが、そういえば高校生のときに、ソニーのSD事業部主催のオーディションに一回だけテープを送ったことがあります。そのオーディションには落ちたんですが、電話がかかってきてN山さんというディレクターの方に「きみは見所があるから、これから事務所にいつでも遊びに来ていいよ」みたいな事言われて。

──遊びに行ったりはしなかったんですか。

高井 一度だけ行ったんですけどね。家が鎌倉でしたから、高校が終わってから都内まで行く時間がなかったんですよ。地元でバンドもやんなきゃいけないし。

──ちなみに、そのソニーに送った音源はどういうものでした? 歌もの?

高井 歌ものだったと思うんですけどね、どんなだったかな? 曲は思い出せないんですけど、トッドっぽい曲だったかも。

──その時点では、自分が将来音楽を仕事にするという意識はされていたんですか?

高井 はい、プロというか、ミュージシャンになりたかった、みたいな感じかな。ピアノを習い出した小学校低学年の頃にモーツァルトの伝記を読んで「作曲家になりたい」と子どもの頃から思ったりしてたんですが、まあ、子どもの考える事ですから「おもちゃ屋さんになりたい」とか、そういうレベルだったんですけど。

──でも、その思いはついえずに続いたわけですよね。

高井 勉強もスポーツもパッとしなかったけど、聴音なら他の子に負けない、ってなると、自然とそっちに向かいますよね。まあ、その後にいろんな局面で聴音の鼻も折られまくるんですけどね。

 

 

──高校を卒業してからは和光大ですか?

高井 いえ、卒業してからは2年くらい地元でアルバイトしてました。当時の友人には、のちのMOODMANもいました。

──MOODMANと、その頃からの知り合いなんですか!

高井 彼は戸塚で地元が近くて、高校時代にはもう知り合っていました。今東京で付き合いのある人間の中では、彼が一番古いんですよ。お互い東京で再会して一緒にバンドもやってました。僕とMOODMAN、常盤響さんと宮川弾くんの4人で、ブレイクビーツとサンプラーとサックス、ギター、あとアナログシンセか。MOODMANの下宿先にあったマッキントッシュで、Visionっていうソフトで作ったトラックに合わせて、クラブで演奏するスタイルでしたね。当時のMOODMANのベースだった西麻布のマチステや、下北沢ZOOなんかのクラブでやってました。93年とか、その辺だったかな。

──なるほど、それは上京後の話なんですね。ちょっと話を戻して時系列を整理しますが、高校卒業後に2年のブランクがあって、1990年に20歳で上京なんですね。

高井 日芸(日大芸術学部)に入ったんですが、僕の前年から1、2年生は新設された所沢キャンパスになったんです。僕はどうしても江古田の近くに住みたくて、東長崎に下宿しました。でも、そこから所沢までは、行きませんよね(笑)

──行きませんでしたか!(笑)

高井 はい。いかんせん遠すぎました(笑)。しかも、入学直前くらいに岸野雄一さんたちの京浜兄弟社の方々と知り合って。そっちのほうが、ミュージシャン志望の僕にとっては、ぜんぜん大学なわけですよ。いざ進学してはみたものの、なんていうか、実際のキャンパスは期待していたものとは違った感じで。それでゲンナリしちゃってる頃に京浜兄弟社の岸野さんや常盤(響)さんたちと知り合って、その周辺には菊地成孔さんをはじめ、プロのミュージシャンがいっぱいいらっしゃったし、上京したての田舎者には、刺激的なことこの上ないわけです。京浜兄弟社が主催していた「デモテープバトル」という、宅録作品を聴かせあって批評しあったりする、今考えるとおっかないイベントで知り合った、ゲイリー芦屋さんや宮崎貴士さんたちとバンドやったりして。

──岡村みどりさんや蓮実重臣さんも京品兄弟社にいらした頃ですよね。

高井 毎週「会議」と称して、押上の岸野さんの家に集まって、ライブイベントの企画やなんかを手伝ったりしている横で、すでにCM音楽や劇伴なんかでバリバリ活躍されていたみんとりさん(岡村)が、夜中にMC-500っていうシーケンサーでカタカタカタカタと数値を打ち込んでて。で、スピーカーからは、すごく高精度にオーケストレーションされたサウンドが、どんどん溢れてくる魔法みたいな光景とかを、一晩中横目で見てたりしましたね。岸野さんには、いろんなレコードを聴かせていただいたり。

──僕は高円寺に住んでいたので、岸野さんたちが始めたレコード店『マニュアル・オブ・エラーズ』が開店した頃にちょくちょく行ってました。それも90年代初めでしたよね。

高井 名ばかりですけど、僕は初代店長だったんですよ(笑)

──じゃあ、きっとお会いしてたんだと思います(笑)。エミット・ローズのレコードを買ったときに店員さんに褒められた記憶があるんですけど、あれがもしかして高井さんだったのかも……。それで、日芸はどうなったんですか?

高井 日芸はなんとか3年生までは在籍したんです。親には申し訳ないですが、後半はほとんど行ってませんでした。で、1993年に京浜兄弟社が有限会社化するタイミングで、というわけでもなかったんですが、同時期に大学を中退しました。有限会社化するにあたって、みんなで会議で「肝心の事業はなにしようか?」って話して、レコーディング・スタジオなんて案も出つつ、結果的にレコード屋(マニュアル・オブ・エラーズ)にしようという話の流れの中で、なぜか「じゃあきみ、店長」と指名された感じでした。

──もちろん、店長になることも音楽を続けていくこと前提だったと思うんですが、まだAhh! Folly Jetという名義は誕生していないですよね。

高井 そうですね。Ahh! Folly Jet名義で世に出た最初の曲は「She Was Beautiful」なんですが、もともとなんの目的もなく、ただ宅録していたうちの一曲だったんですね。それを、さっきお話しした、MOODMANと一緒にやってたバンドが当時出演していた、下北沢ZOOの「Blue Cafe」というパーティーの主催、DJの三谷昌平さんが聴いて気に入ってくれて、三谷さんが編集して東芝EMIから出すコンピ(『Turn The Knob』1996年)に入り、そのあと、亡くなったプラスチックスのトシさんがPussyfoot Recordsで編まれたコンピ『fish smell like cat』(1997年)にも入れましょうという話になったんです。三谷さんが僕の家に遊びに来られたときにあの曲を聴かせたんですよね。「すごくいい」って褒めていただいて、うれしかったのを覚えています。

 

 

──「She Was Beautiful」は1999年に7インチでもリリースされていますね。

高井 そうですね。ただ、Ahh! Folly Jetを名乗る以前に、もうA.D.S.(Asteroid Desert Songs)ってバンドが始まってたと思うんです。

──A.D.S.は高井さんとスマーフ男組(COMPUMA+村松誉啓+アキラ・ザ・マインド)によるバンドで、95年頃に結成したとされています。

高井 最初はA.D.S.はバンドではなくDJイベントの名前でした。そのイベントの趣旨は、DJブースの中にレコード以外のもの、つまり楽器とか短波ラジオ、サンプラー、シーケンサーなんかを持ち込んで、それをレコードの音と混ぜるというもので、そこからバンド化していったんですね。その同時期に、MOODMANが主催していたM.O.O.D.というレーベルから、村松さんが「マジック・アレックス・マルダス」名義で7インチのシングル盤を出して。で、その名義をそのままA.D.S.での自分のMCネームとしてシフトさせて使いたい、みたいなことになったのかな。たしか彼はその頃から、ピッチシフターで作るいわゆる“チビ声”でMCをするようになるのですが、要するに、MC中に名乗りをあげるときに「フレッシュ・プリンス」みたいな名前が要る、と。さらにはメンバーである僕や、松永耕一(COMPUMA)さんにも、MC中に呼びやすいように、なんか名乗ってくれみたいな感じになって、じゃあ、僕はということでつけた名前が「Ahh! Folly Jet」だったんです。

──なるほど。そこが本当の始まりだったんですね。

高井 まったくヒップホップ感無くて、なに考えてたんだか、って感じですが、当時は村松さんがチビ声で「アーフォリージェット!!」ってシャウトすると、実にカッコよくて、それはそれでなんとなく成立しちゃってはいたんですよね。じつはこの名義は、僕が幼少期に自分で考え出した変身ヒーローの名前なんです。母親から僕が「アー・フォーリー・ジェット」という架空のヒーローに変身して遊んでたというのを聞いてたのを思い出して、英語を適当に当てて。それを自分のアーティストネームとして、安易に世に出しちゃったんですけど、今はもう本当に後悔してます(笑)。当時は別にそれでよかったんですけど、今、アラフィフで「ジェット」って、マジできつくてねえ(笑)。名前は途中で変えたかったんですけどね。でも、この歳になると今さら改名もダサい気もして、最近はそのことは考えないようにしています(笑)

──でも、物心つく前から自分につけていた名前と考えると、運命的ですよね。さらに、A.D.S.の一員として、というのはわかるんですけど、結局、ご自身のソロ音源でもAhh! Folly Jet名義で活動をされることになりますよね。そこはどういう経緯だったんですか?

高井 うーん。当時は後々のことなんて考えてませんでしたからねえ。惰性としか(笑)。まずはAhh! Folly JetをA.D.S.のエンジニア・ネームとして使ったんです。それが「She Was Beautiful」がコンピに入るときにそのまま使い回しちゃって、結局この名義でミニ・アルバムの『アバンダンド・ソングス』まで出すことになっちゃった、という感じかな。若い方には「ネーミングは慎重にね」と声を大にして伝えたいですね。

──アーティスト・ネームを手にして、メジャー・レーベルのコンピに入った。ありていに言うと、それはチャンスというふうにも思えますけど。

高井 そのときは自分のソロよりもA.D.S.に夢中だったんです。A.D.S.が終わって、なにかやんなきゃと思って作ったのが『アバンダンド・ソングス・フロム・リンボ』でした。でも、同時期にデートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン(DCPRG)にもギタリストとして加入して、そっちも楽しくなってしまって。

──結果的に、Ahh! Folly Jetとしてソロを続けるという感じにはならなかったんですね。

高井 じつは、『アバンダンド・ソングス』には悔いがすごく残ってるんですよ。予算や時間の問題があって、自分の満足するラインに達する前にリリースすることになってしまって。本当はもっと納得いくまでやりたかったんです。それと当時、デートコースの人たちにバックをやってもらって、バンド編成でライヴもやってたんですけど、なんというか、それまでは宅録ベッドルーム・シンガーみたいな感じだったのが、いきなり生ドラムに負けない声量を必要とする、すごくフィジカルな意味でのギター・ヴォーカルをやることになってしまって。そうなると、やっぱり自分の準備ができてないわけです。宅録で歌うのとはわけが違う。しかもバックはデートコースの猛者たちでしたから、もう相対的に自分のギター・ヴォーカルはすっごくしょぼくなっちゃうわけですよ(笑)。そこですっかり自分に幻滅しちゃってね。ちょうど30歳になったばかりの作品だったんですが、ちょっと出遅れた感も感じたりしていて、あれをしばらくやった後は、30代は、なんかスタッフライターとかそういう感じの音楽制作の裏方になろう、って思ってました。

──それで活動は封印?

高井 きっぱり封印すればかっこよかったんですけど、ときどき「コンピに入りませんか?」みたいなオファーが来て、そうするとうれしいから「はいはい!」ってAhh! Folly Jet名義でやったりして。そんな感じで、レコーディング・ユニットとしては2007年くらいまで続いてました。周囲からは時々「もっとやりなよ」とか言っていただけてたんですけど、要するに僕にぜんぜんやる気がなかったんです。

──「She Was Beautiful」は英語詞の曲でしたけど、『アバンダンド・ソングス』は日本語ですよね。しかも、シンガー・ソングライター性がぐっと増している。その変化はどうして起きたんですか?

高井 「She Was Beautiful」はなんのリリースの予定もなく録った素描みたいなものですが、『アバンダンド・ソングス』は、企業が予算組んだもとで制作したものなので、その辺は違いますよね。それなりに当時なにか考えたりしてたのかなあ。ただのインパクト狙いだったのかも(笑)。ただ、シンガー・ソングライター性ってものがあるとしたら、それは「She Was Beautiful」の頃も、それ以前からもともと持っていた資質、というか、そんな気はします。だって子供の頃からやってた、ギターでコード進行を考えて、それにメロディや言葉を載せていく、って作業は、まぁシンガー・ソングライター的ですよね。なので『アバンダンド・ソングス』からその辺が高まった、みたいな自覚は、あまり無いかなぁ。

 

 

──さきほど「30歳であのアルバムを出したのは遅かった」とおっしゃいましたけど、後から知った世代にとっては、むしろあれは「早かった、早すぎた作品」とも認識されています。

高井 そうなんですか?

松下源(MAD LOVE RECORDS) 今回のシングルでジャケットを描いてもらったイラストレーターのオートモアイさんはAhh! Folly Jetのことはなにも知らなかったんですけど、『アバンダンド・ソングス』の曲を聴いたらびっくりしてましたね。「これ、私のなかでの最先端のアーバン・メロウ・ソウルだ」って。しかも20年近く前の音源だということにも驚いていて。一周回って、若い人たちにとって一番ヒップな音に聴こえるという確信を持ちましたね。

高井 出た当時は結構「ダサい」とか言われたんですよ。

──2000年頃はまだ、このモコモコの宅録感とシンガー・ソングライター性の融合っていうポイントをつかみきれてなかったかもしれないですね。シュギー・オーティスとかの魅力にみんなが気づき始めたのも、あと何年かしてからだったから。

高井 そういう意味ではすこし早かったのかもしれないですね。

──活動をやめたのも早かったかも。

高井 なぜ20年近くAhh! Folly Jetをやらなかったかについては、複雑な気持ちですね。ただ積極的に活動しなくなった後も、敵前逃亡をしたような悔いは残ってました。最初の10年は「もうやりたくない」という気持ちが強かったけど、その後の10年は「いつか落とし前をつけたい」とも思ってました。今は、そうですね、もう時間も経ち過ぎているので、いろいろな葛藤や執着も薄れてはいるんですが、まさかのオファーをもらって、ただただ「また出せるんだ。ありがたいな」という気持ちです。

──そこで今回のシングル・リリースに話がたどり着くんですが、どういう経緯だったんでしょうか?

高井 最初は『アバンダンド・ソングス』の曲をシングルカットしないか、というオファーをいただいたんです。ただ、どうせ出すなら新録が出したかった。それと、タイミング的に、このお話をいただく前に「犬の日々」の原型を、既にちょっと作ってたんですね。きっかけは、去年、プリンスが亡くなったときに、サンプリング音源ソフトのメーカーが、プリンスが使ってたリン・ドラムの音をプリンスっぽく作り込んだサンプル音源を期間限定で無料配布してたことだったんです。その音源を手に入れた時期に、XTALくんと「プリンスが死んで悲しいから、ミネアポリス・ファンクみたいなトラック作って遊ぼうよ」ってデータのやり取りをしてて、そのときに作ったトラックがいくつかあって。それらのトラックは作りかけでしばらく放置されていたんですが、数ヶ月後にXTALくんから連絡があって、「今、HALFBYのリミックス作ってるんですけど、高井さんと一緒に作ったあのビートが雰囲気が合うから一緒にやりませんか?」って言われて、二人で完成させた(「Slow Banana(XTAL & Ahh! Folly Jet Remix)」)。そのときに、他にも作ってたビートにいろいろコードを乗せてたら「犬の日々」という曲のことを思い出して。それを作りかけで置いておいたら、そのタイミングでオファーをもらったという流れでした。

──結果的に、いいタイミングだったんですね。

高井 そうですね。7インチはずっと出したいと思ってましたし、出すなら歌ものというのは決めてました。

──それはなぜですか?

高井 以前はAhh! Folly Jetの名義でエンジニアやら打ち込みやらギターやら、いろいろやって、何する人かイマイチわからない、謎めいた雰囲気を狙ってたんです(笑)ははは。でも、17年経って、今でもAhh! Folly Jetとしてみんなの記憶に残ってるのは、どうやら『アバンダンド・ソングス』の、あのイメージらしいぞ、と。だったらその役を引き受けようと思ったんです。もしかしたら、自分に求められているのは、その部分なのかな?みたいなことは、(((さらうんど)))が「冬の刹那」という楽曲でAhh! Folly Jetの楽曲を引用してくれたあたりから、ぼんやり考えたりするようになりましたね。

──なるほど。確かに「犬の日々」をデータで最初に聴かせていただいたときには、確かにあの『アバンダンド・ソングス』の空気感がぶわっと浮かび上がりました。時代やテクノロジーは変わっても、本人が持っている歪みというか凸凹は変わらない。プリンスもそうだと思うんです。

高井 テクノロジーは進歩してますから、レコーディングの工程やサウンドの質感は、当時とはまったく違うんですけどね。でも、不思議とそう言った本人のシグネイチャーみたいなものは残る、というか消えないみたいなことはあるかもしれないですね。自分でマイク立てて自分でギター弾いて自分が録ったら、まぁぜったいに自分の匂いはつく。もちろん、今のテクノロジーだから今の匂いも必ず入るわけだし、そのへんの配分はもうあまり考えません。もういいおっさんですから、何やっても自分臭い感じにしかならない(笑)

──この1曲にどれくらい時間がかかったんですか?

高井 だらだらとやったので半年くらいかかりました。

──その半年の使い方にちょっと興味があるんですけど、徐々に積み上がっていくタイプですか? それともやっては崩し、やっては崩し?

高井 実際に作業が加速したのは、後半の2ヶ月くらいなんですけど、立ち上げからはだいたい半年くらいですかね。Logicというソフトでやるんですけど、今回の「犬の日々」はファイルを4回作り直してるんですよ。普段は積み上げスタイルで、ファイルは一つのものが上書きされて進化していく感じなので、そういうことは初めてでした。最終的にスチール弦のアコギに落ち着きましたが、ナイロン弦やエレキのアレンジも試してみたりして。その過程も楽しんでいた感じですね。本当はパッと録ってパッと完成させたほうが、勢いみたいなものが宿るし、そういうふうに作りたいんですけどね。まぁでも今回はひさびさだし、リハビリがてら、あえてゆっくり作ろうと思ってやってたら、迷いに迷って4回作り直すことになってしまって(笑)。まぁ、でも作業中は楽しかったです。

──でも、逆にいうと、締め切りに追われることもなく、作品として突き詰められたわけですよね。

高井 そうですね。

 

 

──「犬の日々」は、もともと小川美潮+山村哲也がコンピレーション『「江戸屋百歌撰 丑 1997 This is LOVE』(1997年)に提供した曲のカヴァーですが、この選曲はどこから?

高井 数年前にラジオで聴いたんです。菊地成孔さんがこの曲にサックスで参加されてるんですが、タクシーに乗ってたときにたまたま菊地さんがこの曲をラジオでかけるのを聴いたんですよ。それで「いい曲だな」と思って、なんとなく覚えてたんです。後で調べたら小川美潮さんが歌っていたことを知って、CDを取り寄せました。

松下 僕も高井さんに「これをカヴァーしようと思う」って教わったときに曲を知って、聴いたらめちゃくちゃいい曲で興奮しました。「ぜったい口外すんなよ」とも言われましたけど(笑)

高井 この曲だけは僕が一番最初にカヴァーしたいと思ったんです。だって聴いたら、ぜったいみんなカヴァーしたくなると思うんだけど。

──歌詞は、もともと戦後の荒地派の一員として知られる詩人の北村太郎(1922~1992年)の詩なんですね。

高井 曲を聴いたときに山村さんの作曲、アレンジ、サウンドにも、小川さんの天才的な歌唱にも、ものすごく惹かれたんですけど、やっぱり歌詞がすごいなと思ったんです。「こんな歌詞を書けるのは誰だ? ミュージシャンの言葉じゃないな」と思って調べたら、北村太郎の詩だと知りました。そういえば、すこし前に知り合いのバーで弾き語りしたときにこの曲を歌ったんですけど、歌い切ったらお客さんがすごーい、いい曲ーみたいになっちゃって(笑)。慌てて「いやいや、えーと、これは僕の曲じゃなくてですね、」って白状して(笑)

──カップリングの「指切り」は2007年のヴァージョンそのままですか?

高井 リマスターして、オリジナルからちょっと音を削った部分もありますけど、基本はそのままです。

──あの曲は大瀧詠一さんの原曲がいいというのはもちろんですけど、シュガーベイブもピチカート・ファイヴもカヴァーしたという歴史があります。

高井 そうなんですよ。「俺が歌っていいのか?」って感じですけど、そのコンピのディレクターだった名村武さんが僕指名だったんです。「高井くんがいいと思ってさ」って言われて、あの曲やれるなんてうれしいじゃないですか。

──最強のカップリングだし、すごく話題になるんじゃないかと思ってますし、再始動という期待も芽生えてきます。

高井 ありがとうございます。

──では、ここからは後半で、高井さんの最近お気に入りのレコードをポータブル・プレーヤーで聴こうというコーナーです。

高井 去年、ハバナに旅行に行ったんですよ。そのときにレコード屋でキューバ盤のLPを何枚か買ったんです。そのうちの一枚で、マルタ・ヴァルデースという女性作曲家の作品集です。往年の名歌手たちによる過去のヴァルデース録音作品に、エレーナ・ブルケやパブロ・ミラネースの新録、さらに非常に自演録音作品が少ないヴァルデース本人のパフォーマンスを含めたオムニバス盤、という大変ややこしい一枚。、これ、非常にいいんですよ。和声も複雑だし、音楽としてもすごくモダンなんです。

 

 

──キューバのレコード屋さんって普通に街の中にあるんですか?

高井 はい。コンビニ2つ分くらいのフロアがあって、その中に秋葉原の電気街みたいなちっちゃい店舗がいっぱい入ってるんですよ。そこの一番奥の方にレコード屋がありました。ショーウィンドーのガラスとか割れて、テープで補強されてたりするんですけど、そこに60年前に革命でアメリカと断交する前のシナトラとかナット・キング・コールのレコードが飾ってありました。その横にはフリオ・イグレシアスのレコードもあったな。かの地では同列なんだなと(笑)。当然ですが、全て当時のオリジナル盤です。

──当てずっぽうで選んだんですか?

高井 当時のアメリカ盤以外の、Areitoなんかのキューバ盤は掘っても掘ってもわからないので、「フィーリンが欲しい」っておやじさんに聞いたら、いろんなところから出してきてくれて、その中から選んだという感じです。中にはハズレもありましたけど、10枚買って8枚は当たりでした。

──高打率ですよ、それ。では、次はどのレコードにしましょう?

高井 今回は自分が7インチを出すので、机の周りにあった7インチをばっとつかんで持ってきたんですよ。これはKUKNACKEさんの7インチ「Super Scroller 19995」ですね。A.D.S.の頃にロス・アプソン周辺で知り合った天才音楽家のひとりです。これでかいスピーカーで聴くと、ローが出てて最高なんですよ。ジャケットもカナダの電子音サイケコラージュユニット、Intersystemsのパロディになっていて激シブいですね。この前半のノイズみたいな音はシンセで作ったのかと思って当時本人に訊いたら、「家にある古い革のソファーの軋む音なんだよね」って答えで驚きました。あの辛口の中原(昌也)くんが当時、自分たちの周囲で一番器用なミュージシャンはKUKNACKEさんだと認めてましたね。

 

 

──そして、このマジック・アレックス・マルダスの7インチはジャケが手書き?

高井 もともとジャケなしのシングルなんですけど、村松さんが世界で1枚、僕にだけ描いてくれたジャケットですね。こう言う彼のチャーミングな逸話は、これからも折に触れて語っていきたいです。これ、聴いてみましょうか。

 

 

──「Ahh! Folly Jet」と宛書きしてあるということは、高井さんも名乗り始めた直後ですか。このシングルの頃はすでにA.D.S.はスタートしていたんですよね?

高井 95年ですよね。彼がこの曲を初めて披露したのがイベント時代のA.D.S.でした。イベントの第2回だったと思います。当時の村松さんは髪もすごく長くて、キレッキレでしたね。こうして聴いていると、改めて彼の強烈な個性が、この頃のこのシーンの核だったんだなあと思います。手書きジャケはCOMPUMAも書いてもらっていたから、他の周囲の人たちも書いてもらっている可能性が高いんですよね。一枚一枚写真に撮ってアーカイヴィングしたい。

──シルヴィアの「ピロー・トーク」(1973年)も7インチで持ってきていただいてます。

高井 僕の曲「シルヴィアを聴きながら」の“シルヴィア”は彼女のことです。「オリビアを聴きながら」へのアンサーソングのつもりでした。恋人と別れた翌日、お茶を飲みながらオリビア・ニュートン・ジョンを聴いてるって曲なんだけど、一方その頃、そのフラれた男はシルヴィア・ロビンソンを聴きながら痛飲していた、という曲なんです。

 

 

──このニュージャージー・ソウル特有のモコモコ感。最高です。

高井 今回の「犬の日々」のサウンドに関しては、どっちかというと抜けの良すぎない、鈍く光るようなイメージで作りました。分離の良さや、レンジの広さ、みたいなオーディオ的ハイレゾリューション志向とは、ちょっと方向が違うというか。ハイレゾとローレゾが混ざった感じというか。この辺は言葉にはしづらいんだよなぁ。でもMAD LOVE RECORDSのKEITA SANOくんは「犬の日々」を聴いて「あの音質はどうやって作ったんですか? 本当にコンピューターで作ったんですか?」ってすごく食いついてくれて。「コンピューターで作ったんだよ」って答えつつ、うれしかったですね。若い人と音質の好みで繋がれるのは、すごく嬉しいですね。

──じゃあ、最後の1枚はどれにしましょうか?

高井 ジョン・ハダックっていう電子音楽家、というか、サウンド・アーティストのシングル「Natura」(1995年)です。B面の「Ice On Snow」という曲が好きで。和紙みたいな薄い紙の下に特殊なコンタクト・マイクをつけて、その紙の上に雪が降る音を録って、ARP2600というシンセサイザーを通して電子変調してるという。こんな曲ばっかりですね、「犬の日々」とまったく関係ない(笑)

 

 

──すごいですね。これが雪の音?

高井 電子変調してるので実際の雪の音ではないんですけど、この間隔ですよね。紙の上に雪が降り積もる、本物のテンポ感なわけです。雪の音って普通は聴けないから。

──たしかに。雪の日って音がなくなりますもんね。

高井 こういったタイプのアプローチは、以前はエレクトロ・アコースティックなんて言ってましたけど、最近はなんていうんだろう。フィールド・レコーディング的な素材を電子変調していくっていうのは、それほど奇抜なわけではなく、スズムシの声を電子変調しました、みたいなのはいっぱいあるんですけど、薄紙を媒介させて雪の音を捉えるってのはアイデア勝ちだなと思います。こういうの、好きでよく買ってたな。

──じゃあ、最後にせっかくなので、Ahh! Folly Jetの最初の7インチ「She Was Beautiful」を聴きましょうか。

高井 (再生しながら)ポータブルで聴くのはいいですね。ちょっと音がよれてて。

松下 最近DJしてて、「これ、なんですか?」って一番よく聞かれるのは「She Was Beautiful」なんですよ。ceroが今年の夏に新木場のSTUDIO COASTでやったイベント〈traffic〉でDJしてたときにかけたら、ツイッターでも「あの曲はなんだ?」みたいなつぶやきが結構あって。

高井 この曲、コード2つしかないんですけどね。

松下 俺、B面の曲(「Lost My Passport」)聴いたことないんですよ。

高井 俺、完全にこの曲のこと忘れてた。

 

 

──では、B面を聴きながらインタビュー終了ということで。

高井 ありがとうございました。レコードをその場で聴きながらやる取材はおもしろいですね。

松下 またやりたいですね。

高井 次は他人の取材に立ち会いたいです(笑)

 

■作品情報

Ahh! Folly Jet「犬の日々」(7inch single)
レーベル:MAD LOVE Records
品番:MAD-003
価格:1,800円(税抜)
発売日:2017年10月18日(水)

トラックリスト:
Side A
1.犬の日々

Side B
1.指切り

7inch digest
https://soundcloud.com/user-877287635/ahh-folly-jet-7inch-digest

 

■ライブ情報
MAD LOVE Records Presents”These Dog Days”
日時:2017年12月16日(土) 18:00-23:00
会場:Time Out Cafe & Diner[LIQUIDROOM 2F]

LIVE:
Ahh! Folly Jet
Wool&The Pants
more…

DJ:
MOODMAN
高城晶平(cero)

 

Ahh!FollyJet
MAD LOVE Records