Last Update 2022.12.1

Interview

わたしを作ったレコードたち 第5回 / KEN KEN

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友人のDJが「さめた気分のブギー」をかけて「なんだこれ?」と反応した夜があった。「URBAN VOLCANO SOUNDS」とバックプリントされたTシャツを誰かが着ているのを見かける夜もあった。そもそもKEN KENといつ知り合ったのかも覚えていない。だけど、気がつくとよく同じ夜に居合わせるようになった。

トロンボーン・プレイヤーとして21世紀以降のクラブカルチャーに出入りし、坂本慎太郎の「それは違法でした」では自由気ままに吹きまくる。かっこいい曲で踊らせる名DJでもあり、自身の音楽ユニット、URBAN VOLCANO SOUNDSではシンガー・ソングライターとして自らの歌でさまよう魂を今夜もすくいあげ続けている。

黒縁メガネがよく似合う古風な東京人顔。ひと昔前のテレビの司会者のような印象もある。場をどんどん煽るというよりしぶとくグルーヴさせる人柄。どんな夜にもいてほしい愛すべき大人のパーティー・ピープル。

しかし、そんなKEN KENの音楽履歴、じつはぜんぜんよく知らないって人、結構いるんじゃないだろうか?

URBAN VOLCANO SOUNDSのファースト・アルバム『blue hour』(2020年)が2枚組LPとしてリリースされた夏の初め、渋谷の虎子食堂でじっくりと話を聞いた。  ……と冷静っぽく書いたけど、KEN KENのたどったロングでワインディングなロード、面白いにもほどがあったので心して読んで!

 

取材/文:松永良平
撮影:松下絵真
撮影協力:虎子食堂

 

──URBAN VOLCANO SOUNDSやKEN2D SPECIAL、DJユニットのCocktail Boyzなどでのクラブサイドの音楽/DJ活動や、坂本慎太郎「それは違法でした」や「まともがわからない」への客演などを通じてトロンボーン・プレイヤーとしてのKEN KENを知ってる人は多いと思うんです。でも、どういう経緯でいまの活動に至ってるのか、音楽履歴はよく知られてないのでは? ぼく自身もそのひとりなので、この機会はとても楽しみにしてました。

 

KEN KEN (この連載に登場した)名だたる先輩方に続いて恐縮です。

 

──いやいや、いまホットな人ですよ。去年CDとデジタルでリリースしたURBAN VOLCANO SOUNDSのファースト・アルバム『blue hour』も3E STUDIOでアナログ2LPで出たタイミングだし、「それは違法でした」での奔放なトロンボーンを聴いて「これ誰?」と思ってる人はかなり多いはず。

 

KEN KEN じゃ、「それは違法でした」にちなんで、“イリーガル著名人”ということでよろしくお願いします(笑)

 

──まずは基本事項として、生年や出身を教えてください。

 

KEN KEN 1970年生まれです。いまの西東京市、昔の田無市で育ちました。

 

──ということは10代が1980年代そのまま。東京育ちのエイティーズ、うらやましいです。

 

KEN KEN いや、西東京市の片隅ですから。田舎でしたよ。

 

──子どもの頃から音楽好きでした?

 

KEN KEN そうですね。小学校の頃、よく親父が歌謡曲の7インチを買って帰ってきてたんです。仕事に持っていくでかいバッグに、帰ってくると7インチが何枚か入ってる。それを親父がかけるのを、ぼくも「今日は何かな?」って楽しみに聴いてました。水谷豊「カリフォルニア・コネクション」とか松坂慶子「愛の水中花」とか、ジャケットもすごくよく覚えてます。

 

──お父さんは何か音楽をやってたとか?

 

KEN KEN いえ、臨床心理士です。ぜんぜん音楽には関係ない仕事でした。

 

──でも、帰りがけにシングル盤買うなんて、粋な趣味ですよね。じゃあ、自分で一番最初に買ったレコードは?

 

KEN KEN これです。

 

①薬師丸ひろ子 / セーラー服と機関銃(Polydor, 1981)

薬師丸ひろ子 / セーラー服と機関銃

 

KEN KEN これは死ぬほど聴きました。薬師丸ひろ子が大好きでしたね。ちなみに、親父は来生たかおの「夢の途中」(1981年/「セーラー服と機関銃」の作者版で、こちらもヒットした)のほうを買ってきたんです。いま、両方ともぼくが持ってます(笑)。で、その次に買ったのがこれ。

 

②忌野清志郎+坂本龍一 / い・け・な・い ルージュマジック(London, 1981)

忌野清志郎+坂本龍一 / い・け・な・い ルージュマジック

 

KEN KEN この「い・け・な・い」表記の影響はURBAN VOLCANOの「bure night」の歌詞「ぶ・れ・な・い」に出てます。お札がバーッと舞うMVが好きでしたね。最初は清志郎も知らなくて、「この化粧してる人は誰?」って姉貴に聞いて「忌野清志郎だよ」って教えてくれました。姉貴は6歳上で、すごい音楽好きだったんです。

 

──音楽好きの兄や姉とか親戚の存在って大きいですよね。外の世界から家庭内に音楽を持ってきていろいろ教えてくれる。ちなみに、坂本龍一さんつながりでYMOには行かなかった?

 

KEN KEN 小学生の頃聴いてはいましたけど、ぼくは当時はピンときてなかったですね。友達でYMOが好きなやつがいて、そいつの家に行くとスネークマン・ショーや「ライディーン」を聴いてました。だけどやっぱり“わたしを作ったレコード”としては「セーラー服と機関銃」と「い・け・な・い ルージュマジック」が最初期です。ちなみに、中学では大沢誉志幸「そしてぼくは途方に暮れる」(1984)や、松田聖子のアルバム『Canary』(1983)を好きでよく聴いてましたね。他に、オフコース、佐野元春も好きでした。中学生くらいまでは音楽をやりたいというより、普通にバスケ部とかに入って、スポーツ好きでしたけどね。

でも、中学を卒業したらスポーツはやらなくなりました。高校に入るとバンドをやってるやつらがいて、そっちと遊ぶのが楽しくなったんです。仲良くなった友達がクラッシュが好きで、彼からレコードを借りたりしてました。当時〈友&愛〉ってレンタルレコード屋さんがあったんですけど、3枚組の『サンディニスタ!』(1980)はそこで借りてカセットに録りました。返却するとき3枚組の1枚を家のターンテーブルに置き忘れてて、お店から電話がすごい剣幕でかかってきて、裸のレコードだけ返しに行ったのを覚えてますね(笑)

 

──ちなみに“わたしを作ったレコード”に『サンディニスタ!』は入らない?

 

KEN KEN これは入らないんですよ。かっこいいなとは思ったけど、もっと激しいのが欲しかった。それで、もっと激しいパンクはないのかと探しているうちに出会ったハードコアパンク、それも日本のバンドが大好きになっちゃったんです。高校でもジャパコアのコピーバンドをやりましたね。最初はベースだったんですけど、もっとうまいやつがいたんで、ヴォーカルをやってました。ライヴはやらず練習だけするバンドでしたけどね。カヴァーしてたのは、The Comes、GISM、Lip Cream、S.O.B.……。

 

──それが人生初バンド!

 

KEN KEN バンドを組んだきっかけは、高校生の夏休みに池袋のカジュアルレストランみたいな店で厨房のバイトを始めたことなんです。大学生のバイトがたくさんいて、そのなかに日本のハードコアのコピバンをやってる女性の先輩がいたんですよ。それで代々木にあった〈LAZY WAYS〉ってライヴハウスに先輩のライヴを見に行ったら、衝撃的なかっこよさだった。その衝撃を象徴する曲がこれかな。

 

The Comes / Wa-Ka-Me

 

KEN KEN 股間にワカメが、股間にワカメが、股間にワカメが♫ かっこいい! この曲をバイト先の先輩が歌ってたんです。その衝撃で、中学では聖子ちゃんが好きだったのに、高校に入ったら“股間にワカメ”になった。豹変した、みたいな(笑)

 

③The Comes / No Side (Dogma, 1983) 

 

──そこからしばらくはハードコアにのめり込んで?

 

KEN KEN そうです。やがて、雑誌『DOLL』や『FOOL’S MATE』の記事で、S.O.B.が海外でウケていてナパーム・デスってバンドとツアーしてるぞ、みたいな記事を読んでは、ナパーム・デスを聴いたり、イギリスのグラインドコアと呼ばれてるシーンのバンドを聴いたり、Lip CreamやS.O.B.の人たちが好きだと言っていたバッド・ブレインズとかを聴いたりしてました。じゃあ、その流れでバッド・ブレインズ、聴いていいですか?

 

④Bad Brains / Rock For Light (PVC, 1983) 

Bad Brains / Sailing’ On

Bad Brains / Rally ‘Round Jah Thorne

 

──バッド・ブレインズはメンバーが全員黒人のハードコア・バンドですよね。DCハードコア・シーンにレゲエの要素を持ち込んだ重要な存在。

 

KEN KEN この2曲の流れに象徴的なんですけど、ハードコアの次にいきなりレゲエをやったりしてるのが衝撃的でした。その落差の「え!」って感じ。しかもジャマイカのレゲエとはぜんぜん違うタイプの鋭さがあった。そこがいいなと思ったんです。このアルバムはめちゃくちゃよく聴いたので、全曲覚えてますね。

 

──ここでようやくいまにつながるレゲエの要素が出てきましたね。

 

KEN KEN あと、高校のとき、姉貴に教わったJAGATARAも衝撃的でした。「ハードコアもいいけど、JAGATARAってバンドとばちかぶりってバンド、聴いてみなよ。池袋の〈五番街〉か三軒茶屋の〈フジヤマ〉って店に売ってるから」って教えてくれたんですよ。で、行ったらばちかぶりはなかったけど、JAGATARA(暗黒大陸じゃがたら名義)の『南蛮渡来』(1982年)があった。

 

⑤暗黒大陸じゃがたら / 南蛮渡来 (Ugly Orphan, 1982) 

 

KEN KEN 1曲目「でも・デモ・DEMO」が「あんた気に喰わない」ってフレーズで始まるじゃないですか。歌詞も歌い方も初めて聴く感じで、もう衝撃的に刺さっちゃっいました。

 

暗黒大陸じゃがたら / でも・デモ・DEMO

 

──バッド・ブレインズでレゲエが入り、JAGATARAでアフロやファンクが入ってきた。しかし、お姉さんのおすすめ、いちいちすごいかっこいいですね!

 

KEN KEN 「聴いたよ」って言っても、「いいっしょ」って簡単に返事するだけなんですけどね。姉貴は北海道大学を出て、いまは海外で日本語を教える仕事をしてます。3年ごとに国を変えて、日本には基本的にほぼいないですね。

当時、JAGATARAのライヴを見る機会はなかったんですけどね。でも、その出会いがきっかけで、ハードコアパンクよりはもっと大人なファンクとかを求めるようになっていった気がします。そしたら、姉貴が今度は「山下洋輔ってかっこいいよ」っておすすめしてくれて。

 

⑥山下洋輔トリオ / MONTREUX AFTER GLOW (FRASCO, 1976) 

 

KEN KEN これがまた衝撃的でした。フリージャズとの出会いです。演奏のスピード感がハードコアよりすごいなと感じちゃったんです。曲はアルバート・アイラーの「Ghost」なんですけど、途中(14分30秒)で坂田明さんのめちゃくちゃなスキャットというか、ハナモゲラ語が入ってくる。その部分が大好きで何回も聴きました。昨日も久々に聴きましたけど、やっぱりすごいです。

 

山下洋輔トリオ / Ghost

 

KEN KEN そこから他のフリージャズもすごく聴くようになりました。その中でよく聴いたのが、ラズウェル・ラッドっていう人。トロンボーンでフリージャズを演奏するんです。

 

──KEN KENの歴史にトロンボーンがついに登場した! この人は漫画家のラズウェル細木さんがいちばん好きなプレイヤーで、確かそれがペンネームの由来だったはず。

 

⑦Roswell Rudd / Everywhere (Impulse, 1967) 

Roswell Rudd / Yankee No-How

 

KEN KEN しかもいま聴くと「それは違法でした」的なプレイなんですよね。

 

坂本慎太郎 / それは違法でした

 

──ああ、飄々としているというか、勝手に吹いてる感じが通じてるかも。

 

KEN KEN 山下洋輔トリオのフリージャズはみんなでブワーって前に行く感じですけど、ラズウェル・ラッドのフリージャズはどっちかというと、みんなで行きつつも、誰か鼻くそほじってたり、寝転がってるようなやつもいる、みたいな感じもある。そういう面白さなんですよ。あと、トロンボーンってサックスに比べてもっと単音感が強くて、音色が裸っぽくていいなと思ってました。

 

──それがきっかけで自分でも吹き始めた?

 

KEN KEN いや、まだです。このレコードを買ったときはフリージャズへの興味が先でした。自分でトロンボーンを吹くようになって、「持ってたな」と思い出して、あらためて聴き直したりしましたけどね。

 

──えっと……、まだ高校も卒業してないのに、すごいディープなところまできましたね。

 

KEN KEN ハードコアパンク、フリージャズという流れでそういうアヴァンギャルドな表現が自然と好きになってたんですよね。白塗りの舞踏ってあるじゃないですか。当時、京都に拠点を置いていた白虎社という集団があったんですよ。レコード屋でその合宿のフライヤーを見つけて、高校卒業後すぐに応募して参加したんです。

 

──え?

 

KEN KEN 合宿地は和歌山の山中にある廃校になった小学校でした。まず坊主頭かモヒカンになって、そこから2、3週間続くんです。毎朝のランニングから始まって、朝ご飯はおかゆと梅干しだけ。それから舞踏の稽古をして、夜は特別に招かれた講師の講話があるんです。その講師が楳図かずおとか。

 

──え!

 

KEN KEN 中沢新一、横尾忠則、梅原猛、建築家の毛綱毅曠(もづなきこう)……、すごい有名な人たちが毎晩そこに来るんです。地べたに座って話を聞いたり、ワークショップでみんなで楳図かずおさんと絵を描いたり。最終日に横尾忠則が来て、いきなり「わたしは宇宙人と交信してます」から始まるんですけど、めっちゃ面白かったですね(笑)。最終的にはぼくらも白塗り、全身金粉塗りもやって、自分たちでステージも作って地元の人たちに披露して合宿は終わりました。 

 

 

──ちょっと待って! 金粉塗りって!

 

KEN KEN 合宿の行程が終わった翌日に最終面談がありました。そこで「白虎社に正式に入らないか?」と聞かれたんです。合宿は体力的にすごくきついからどんどん脱落して、最後は半分くらいしか残らなかったんですよ。ぼくは最後まで残ったので「京都来ない?」って誘われたんです。でも、「ずっと音楽が好きだったから音楽やりたいです。踊りはやめときます」って言いました(笑)

 

──だから、いま目の前にKEN KENがいる、と(笑)

 

KEN KEN その合宿では、友達がいっぱいできたんですよ。彼らが東京で自分たちの舞踏チームを作るんですけど、その舞台の音楽を担当したのが、ぼくが人前で演奏した初めての経験ですね。バンドとかじゃなくて、ガムランとかいろんな民族音楽のレコードを流しながら即興で坂田明のハナモゲラ語とか、エスキモーの喉鳴らしの歌みたいに叫んだり歌ったりするヴォイスパフォーマンス。

 

──エスキモーの喉鳴らしの歌?

 

KEN KEN これですね。

 

エスキモーの喉鳴らしの歌

 

KEN KEN その頃、姉貴に「六本木のWAVEにはいいレコードがいっぱいある」って言われてよく行ってましたね。民族音楽のレコードをいっぱい買いました。そのなかでいちばん衝撃的だったのが、このエスキモーの音楽です。エスキモーの喉鳴らしの歌は、アザラシが交尾するときの鳴き声とかを模したものなんですけど、ぼくも白塗りの舞踏に合わせてこういう声を出したり、口琴鳴らしたりしてました。

 

──そ、そうですか……。

 

⑧Various / The Inuit (Eskimos) Of Greenland And Northern Canada Vol.1 (Lyrichord, 1982) 

 

KEN KEN そのあとは、スペインに1年留学で行きました。それも姉貴に「大学に行くより、少なくとも1年以上海外に行ったほうがいい」と言われた影響です。サラマンカっていうマドリッドからバスで2時間くらい行った街でスペイン語の学校に入りました。おかげでいまも少しはスペイン語はできます。当時は普通に生活できるくらいは話せたかな。

スペインは好きになりましたね。サラマンカは大学の街みたいな感じでしたけど、週末になるとポルトガルとかフランスに行ったりしてたし、バルセロナの街も好きでしたね。バルセロナのスタジアムでプリンスを見ましたよ。ニュー・パワー・ジェネレーションの頃かな。留学期間が終わって帰国してからは、「バンドをやろう」とはっきり決めてましたね。

 

──いろいろ経験がありすぎてよくわからなくなってるけど(笑)、そのバンドではどんな音楽をやろうと思ってました?

 

KEN KEN 舞踏のバックでヴォイスパフォーマーみたいなことをやったってさっき話しましたよね。その舞台に誘ってくれた舞踏の友達とは、その後もしょっちゅう遊んでたんですよ。みんなすごいアヴァンギャルドな舞踏をやってるんだけどレゲエで踊るのが好きな人たちで、一緒に新宿のレゲエクラブに毎週遊びに行ってました。毎年〈レゲエ・ジャパン・スプラッシュ〉も行ってたし。

その友達から、あるとき「先輩がバンドをやってて、おまえに興味を持ってる」と言われたんです。その先輩が新しいバンドを組みたがってるらしく、ぼくのパフォーマンスを見て面白がってくれたみたいなんです。結局、その先輩に誘われて最初はリズムマシーンと二人のヴォーカルだけではじめて、その後バンド編成になりました。その先輩はもともとブルースマンで、そこからフレッド・フリスとかビル・ラズウェルみたいな当時のニッティング・ファクトリー周辺も好きになっていった人で、バンドとしてはフリージャズ+ファンクみたいな要素があった。そこで、ぼくはトランペットとヴォーカルをやることになります。

 

──ここでようやく管楽器が。でも、トランペットだったんですね。

 

KEN KEN 時折はホーン・セクション4人くらい入れてライブをやるようなバンドだったんですよ。その影響もあってトランペットを買いましたが最初は音出てなかったですね。そのバンドのドラムが、いまぼくがやってるKEN2D SPECIALでギターを弾いてるガリバーです。

 

──バンド名は?

 

KEN KEN 市松サウンド細工です。代々木の〈チョコレートシティ〉とか、吉祥寺の〈曼荼羅〉とかでやってました。結成直後くらいの渋さ知らズとも一緒に出てましたね。そのバンドで、田口史人さん(円盤/黒猫/リクロ舎)が当時情報誌『シティロード』で連載していたカセットテープ募集コーナーに音源を送ったんです。そしたらライブに呼んでくれて、「うち(OZ Disc)から音源を出さないか」って流れになったんです。

 

──えー!

 

KEN KEN 市松サウンド細工は、OZ Discからは1995年に『Record』ってアルバム(CD)と、98年に7インチ「ドッケンシマウマ」を出しました。このバンドで、28歳くらいまでやってましたね。ライヴのお客さんはだいたい30人くらいだったように思います。アルバムのレコ発は下北沢の〈SHELTER〉で、KIRIHITOとかDEMI SEMI QUAVERとかが出演しました。このバンドはしばらく続きました。谷岡ヤスジのトリビュート盤(『谷岡ヤスジに捧ぐ』1997年)にも「ジャラランガ・タキオ」っていう曲で参加したりしてました。あとは、田口さんが当時やっていた口琴だけのユニット、マウスピースにも参加しましたよ。

 

⑨市松サウンド細工 / ドッケンシマウマ (OZ Disc, 1998) 

──しかし、KEN KENのデビューがOZ Discからだったとは予想外すぎます。

 

KEN KEN 田口さんとは結構付き合いが長かったですね。ECDが円盤でリリースしていた頃、お店にも何度か買いに行きました。

 

──市松サウンド細工をやめてからは?

 

KEN KEN ライヴハウスが活動の主体だったのがクラブ方面に変わり出したんです。20代の終わりくらいですかね。TRIAL PRODUCTIONという大所帯のレゲエ・ダブ・バンドに参加したんです。そこで西内(徹)さんや橋本“KIDS”剛秀(在日ファンク)とも出会うんですけどね。

加入したきっかけは、市松サウンド細工時代に〈代チョコ〉とかでよく対バンしていたSOUL BOYSってバンドのトランペッターに誘われたからです。その人がMUTE BEATやフェラ・クティが好きで、そういうのをやる自分のリーダーバンドを組むというので。そのバンドでトロンボーンを吹くようになりました。

 

──ここでようやくトロンボーンを吹く!

 

KEN KEN そのバンドに加入する少し前からトロンボーンを吹くようになってたんです。トロンボーンに変えたきっかけは、友達が持ってたユーフォニウムを吹いたことなんです。ユーフォニウムのマウスピースはトランペットより大きくて自分の口に合ってすごい吹きやすかったたんですよ。しかも、ユーフォニウムとトロンボーンのマウスピースは同じなんですよ。それで「自分は絶対こっちだな」と思ってトロンボーンを買いました。

TRIAL PRODUCTIONはその後、永田一直さんとの縁ができて、永田さんのレーベル、TRANSONICからリリースをすることになりました。ぼくも以前のバンドメンバーだったサックスの人とふたりでTigris and Euphrates(チグリス&ユーフラテス)という打ち込みのユニットを始めて、TRANSONICからリリースしましたね。その頃から打ち込みに目覚めて、機材も買って、がっつり自分でもトラックを作るようになっていったんです。

 

──その頃聴いていたのはどんなレコードでした?

 

KEN KEN やっぱりレゲエやダブでしたね。その時期によく聴いてた1枚を選ぶなら、これかな。

 

⑩MUTE BEAT / LOVER’S ROCK (PONY CANYON, 1988) 

MUTE BEAT / Kiev No Sora

 

KEN KEN 20代前半、友達がカーステでドライブ中にかけてたのを聴いたのが最初ですね。「なにこれ?」って聞いたら「MUTE BEAT。今度渋谷公会堂のワンマン行くんだ」って。音数の少ないクリアーな音の日本のレゲエ。これしかないなと思ってずっと聴いてましたね。

TRIAL PRODUCTIONよりもうちょっとコンパクトな編成で、ダンスホールレゲエも好きだったので、自分好み全開のレゲエやりたいなと思って、KEN2D SPECIALをやり始めたんです。自分で覚えた打ち込みのトラックとトロンボーンと歌で、しばらくはひとりでライヴもしてました。そのうちひとりじゃ大変だなと感じてきたので、その頃、恵比寿の〈みるく〉に自分のサウンドシステムを入れて〈ダブ・スクール〉ってイベントをやっていたICHIHASHI(ICHIHASHI DUB-WISE)に手伝ってもらうことにして、DJやギターも呼んだ編成になり、最終的には、前のバンドでドラマーだったガリバーとICHIHASHIとぼくの3人に自然と落ち着きました。

KEN2D SPECIALは、最初のうちはダンスホールレゲエのトースティングの部分をトロンボーンでやるというコンセプトでした。そのうちトロンボーンだけじゃ間が持たないからマイクを持って歌うようになっていったという流れです。アルバムを出すことになって、レコーディングやミックス、マスタリングを担当してくれたのが、DEAVID SOULというディスコファンク的なユニットでTRANSONICからアルバムを出していたhacchiさんだったんです。

 

──URBAN VOLCANO SOUNDSの相棒であるhacchiさんとの共同作業がそこで始まった?

 

KEN KEN そうですね。hacchiさんの自宅スタジオでふたりでやりました。だからURBAN VOLCANOとあんまり変わらないというか。hacchiさんとはTRIAL PURODUCTIONで一緒にツアーしたりしていて、つながりは前からあったんですよ。

ぼくはハードコア、フリージャズ、アヴァンギャルドな出自なんですけど、hacchiさんは知り合ったときからすでにアーバンなんです。ボビー・コールドウェル、ドナルド・フェイゲン、グローヴァー・ワシントン・ジュニアとかが好き。レコーディングやミックスの休憩中もアーバンなやつを聴いてるんですよ。でも、ぼくは「こういうのもアーバンでいいけど、おれがやる感じじゃないな」と思ってました。ハードコア聴いてた頃はむしろAORなんか嫌いだったし、ボビー・コールドウェルのボの字も知らなかった(笑)

 

──それが好きになったのはなぜ?

 

KEN KEN 活動のフィールドがクラブになって、自分でもDJやるようになってからですかね。AORとかディスコブギーとかをちゃんと聴くようになったのは10年くらい前です。最初に買った、このコンピがきっかけですね。

 

⑪Various / AOR Global Sounds 1976-1985 (Volume 3)(Favorite, 2017) 

Omega Sunrise / Heartbreaker

 

──オメガ・サンライズ! オリジナルはハワイアンAORの超レア盤ですね。

 

KEN KEN この曲を好きになったんです。それが好きになったら、このレーベルの他のコンピも全部買いたいと思いました。こういうコンピに入ってる曲のオリジナルってまず買えないじゃないですか。だから、他にもいいコンピを探して曲をいろいろ知っていきました。

 

──ここでようやくアーバンの扉が開かれた。

 

KEN KEN いや、でもまだ体にはハードコアやフリージャズのほうが染み込んでるんですよ。もともとアーバンが染み込んでるhacchiさんが相方だから、URBAN VOLCANOは成立してるんです。ただ、自分の音楽体験をさかのぼると、アヴァンギャルドになる以前は、父親の影響で歌謡曲やニューミュージックと呼ばれていたものが好きだった。あの頃の歌謡曲は、元ネタがディスコだったりAORだったりするじゃないですか。だからビートの感覚としては、ぼくは逆に小学生に戻った感じかもしれないです。

 

──KEN KENの書く歌詞が好きなんですけど、今日こうやって話を聞いてたらCOMESやJAGATARAの世界線もあるような気がします。「さめた気分のブギー」なんて、まさに歌謡曲とそれ以外の影響の融合ですよね。

 

KEN KEN 歌詞は自然に降りてきたものは自分で違和感なければそのまま使っちゃうんですよ。「ギンギラギンにさりげなく」や「悲しい色やね」の要素みたいなのは、逆に昔からAOR聴いてる人からは出てこないものが確かにあるんだろうなという気はしてます。hacchiさんとも話したんですけど、結局一回自分を通ったものはどこかに滲み出てるんだろうなと。

 

URBAN VOLCANO SOUNDS / さめた気分のブギー

 

──“都会の火山音”っていうユニット名のように、hacchiさんの作るアーバンを割って、KEN KENの魂がグツグツと漏れ出してると思いますよ。

 

KEN KEN そもそも、ぼくはもとがアーバンじゃないから。本当にアーバンな人は自分のグループに“URBAN”って付けないじゃないですか、きっと(笑)

 

──URBAN VOLCANO SOUNDSは、じつはまだ一回もライヴをしたことがないんですよね。すごく見たいと思ってる人、多いと思う。

 

KEN KEN そうですね。年内にはやりたいですね。

 

──「さめた気分のブギー」はVIDEOTAPEMUSICリミックス(10インチ・シングル「雨のうた」にカップリングで収録)も最高ですけど、最近VIDEOくんが自分のライヴでもmmmをゲストヴォーカルにしてやってますよね。いつかKEN KENが出てきたらいいのに。

 

KEN KEN いいですね、ご本人登場みたいな(笑)

 

──いや、とにかく予想外の逸話だらけで面白かったです。では、最後の1枚は何にしましょう?

 

KEN KEN “わたしを作ったレコード”というにはちょっと新しいですけど、これを。

 

⑫Dante Elephante / Mid-Century Modern Romance (Born Losers, 2021) 

Dante Elephante / Find Somebody To Love

 

──カリフォルニアの宅録ソウルシンガーとしていま注目のダンテ・エレファンテ!

 

KEN KEN このレコードは、絶妙な感じでぼくには刺さるんです。80年代感も好きな感じで入ってるし、ディスコっぽい感じ、AORっぽい感じもしっくりきて、ジャケットも含めてちょうどいい按配。

 

──もともとはバンド名で、もっとサウンドもロックっぽかったんですよね。それがこのアルバムではひとりユニットになって、グッとアーバンでソウルっぽくなり、チカーノソウルのファンにも愛されてる。もともとアーバンじゃなかった人のアーバン化という意味でもアメリカ版のURBAN VOLCANO SOUNDSみたいな存在感あります。

 

KEN KEN これからのぼくにとってかつてのThe Comesに匹敵する重要な1枚になるだろうなと思ってます。ちょっとかけてきていいですか?

 

(と言って、自分でレコードをかけに行く。回転数を間違えて、「スクリューだよ!」と叫ぶKEN KENのいい声が虎子食堂に響いた) 

 

【作品情報】

アーティスト:URBAN VOLCANO SOUNDS
タイトル:blue hour
レーベル:3E STUDIO
品番:3E STUDIO 005
Format:2LP
価格:4,500円(税抜)
発売日:2022年7月29日(金)