Last Update 2023.12.27

Interview

原みどり、前作『夜明け』より10年ぶりのソロアルバム完成!! マスタリングはアビーロードスタジオのショーン・マギー氏!!

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原みどりの10年ぶりのニュー・アルバム「Living Dreams」は、なんと全曲が英語詞。原みどりが書いた「Thank You, Bye Bye」「Sleep well」もあるが、他の楽曲はほぼ、夫であり、現在大分のローカルラジオ局・ゆふいんラヂオ局で「ポールマッカートニー(替玉)」として活躍するMannyによるものだ。その楽曲たちは、70年代のアメリカやイギリスの要素が濃い。そんな「Living Dreams」はいかにして生まれたのか、原みどりとMannyにZoomで話を聞いた。

(取材・文:宗像明将)

 

 

――以前、頭を丸坊主にされていましたが、出家したわけではないんですよね?

原みどり:あはは、うちの旦那さんを紹介しますね(画面に坊主頭のMannyが登場する)。

――あ、Mannyさんはじめまして。

原:彼と結婚して、禅寺の敷地内に住んでたんですね。彼に「せっかく禅寺に住んでるんだから坊主にしろよ」てずっと言われてたんですけど、ちょっとその勇気がなくて。でも、去年コロナ禍でいろんな流れが変わって、疫病退散とか願掛け的な気持ちになったり、「そろそろいいかな」と思って。で、もともと剃りたい人だったんで、つるっと年末に剃っていただきました。この話からですか?(笑)

――どうしても気になってしまいまして……。10年ぶりのニュー・アルバム「Living Dreams」は、全曲英語詞で、B面の終盤3曲以外はMannyさんが書いたものですね。どうして英語詞になったんでしょうか?

原:詩吟を10年近くやっていて、漢詩にメロディーつけることはやってたんですけど、いかんせん地味というか。Mannyさんがビートルズマニアで、ローカルのゆふいんラヂオ局でビートルズ番組を手伝ってるんですが彼は英会話の先生なんですね。一緒に番組をやってらっしゃる方とレコードを作りたいねという話があって。Mannyさんはアメリカとオーストラリアに留学していた90年代ぐらいからあちらのお友達とすでにリモート・レコーディングをしてたんですね。私はその曲がすごくポップでいいなと思ってたし、彼が私の歌を使って、1枚作れたらいいねという流れがあって、挑戦してみようかなということでした。

――そんな楽曲の音楽性は、70年代のアメリカのソウル、イギリスのビートルズの要素も強いですが、どうしてこうした方向性になったんでしょうか?

原:私は歌手としてMannyさんの世界を歌っているだけなので、完全に彼の世界に乗っかっているだけなんですよね(笑)。リモート・レコーディングを半年近くこのおうちでやってきたんですけど、英語の指導もすごい厳しいし、「スプーン持って来い」って言われて、「L」と「R」の発音を直されて。やることはピアノ弾くことと歌うことしかないので、彼がサウンドを作っている間は、私は今回のジャケットの色塗りをしてたんです(笑)。

――Mannyさんはどんなアーティストの影響を受けていると感じますか?

原:「博多のラトルズ」と言われるザ・ゴーグルズというバンドがあるんですが、彼はそのサポート・メンバーなんですね。私たちの周りにもビートルズオタク、マニアっていうのはごまんといるじゃないですか。ただMannyさんはちょっと特殊で、ビートルズのそれぞれの人格と声と歌をイタコ状態にして真似ることを得意としているんですね。完全なビートル変態。「ポールマッカートニー(替玉)」っていう芸名で、ゆふいんラヂオ局で声マネと英語の訛りの芸を得意とする方なんです。

――そういうテイストの一方で、原さんが書いた「Thank You, Bye Bye」と「Sleep well」にはアンビエントの要素もありますが、今はそういうモードなんでしょうか?

原:緊急事態宣言の夜に酔い酔いネガティヴで「わーっ!」となったときに、昔作ったトラウマだった曲をサンプラーで全部切り刻んで、一曲作ったのが「Sleep well」です。亡くなった父の机の上で作ったんです。ああいう世界は自分の中にあったものですね。

――「Living Dreams」は、「ザ・ビートルズ・モノ・ボックス」「ザ・ビートルズ MONO LP BOX」を手がけたアビーロードスタジオのショーン・マギーさんがマスタリングを手がけていますね。Mannyさんは、ビートルズの大ファンとして感慨深かったんじゃないですか?

Manny:データを入稿する時が、今回の制作において一番緊張した時ですね。送信する時の最後のワンクリックは、ものすごく重いクリックでしたね。

――Mannyさんは今までどんな音楽活動をされていたんですか?

Manny:ビートルズのカヴァーバンドをやってたり、20数年近く、アメリカと日本でリモート・レコーディングをしたりしていましたね。

――今回、原さんのプロデュースをMannyさんがするにあたって意識したポイントはどんなところでしょうか?

Manny:完璧な英語の発音はそこまで求めなかったんです。完璧さを求めるならば、外国人を起用すればOKなわけですから。やっぱり日本語の訛りがあって、ただし日本人の歌には聴こえないとういうものを求めていきましたね。

――これまでの作品に比べると、原さんのヴォーカルはとても柔らかで落ち着いている印象があります。かなり大きな変化だと感じました。

原:SPANK HAPPYからも何十年も経ってるし、歳を重ねて自分の中では経年劣化とも言えるし。この10年はほぼほぼ詩吟をやってたんです。漢詩を美しい日本語で読むという修行をずっとして。久留米に来てから12年経つんですけど、自分が通ってる霊山で、山の中で詩吟の練習をしながら歩いていると、もう猫も泣いて逃げちゃうぐらいすごい発声になるんです。今回は、それとは真逆で、人が心地良いって思えるような声を使って出せるといいなっていう気持ちはありました。

――そもそも詩吟を始めたきっかけはなんだったんですか?

原:うちの場合は、亡くなった祖母です。うちの父親がシルクロードとかヒマラヤとかの仏教聖地巡礼をやってたんですけど、昭和の一桁世代で、歴史の教師だったものもあって、漢詩をたしなんでたし。聾学校、盲学校の先生だったんですけど、その仲間の先生が吟剣詩舞をやってた流れで、父が母に勧めたんですね。それで父が亡くなってから母と3年間喪に服している間、ふたりで聾学校の先生のところに通うようになって。久留米に来る前だから、15、6年前ですね。母と離れてこっちに嫁に来る時に、「詩吟だけは続けて、あんたは普通のポップスで全然ダメだったんだから詩吟ぐらい頑張りなさい」って(笑)。妹や姪っ子もやってるから、今度は「全国大会で会おう!」みたいな約束をしてきたんです。今は家族全員の趣味になり、それを通じて10何年やっちゃいました。

――お母様はなんで「ポップスで全然ダメだった」と言ったんですか?

原:うちの母からしたら、紅白とか出てないし、全然売れてないミュージシャンっていう感じだから(笑)。その母も歌うのが好きだから、Mannyさんも巻き込んで、施設慰問はやってるんです。

――お母様は、施設慰問の活動をする原さんのチャンチキズのメンバーなんですか?

原:メンバーというよりは、チャンチキズの活動で行く施設のお膳立てをしてくれて。なんでかっていうと、自分が歌いたいから(笑)。「岸壁の母」とかいろいろ歌って、歌謡吟になってるんですけど。吟剣詩舞で全国で優勝してる子がいたりして、おじいちゃん、おばあちゃんにその人たちを見せるとめちゃめちゃ喜ぶので、そこに乗っかって合体させて、チャンチキズをやってきました。

――そういう積み重ねがあったんですね。「Living Dreams」では、今堀恒雄さん、飯野竜彦さん、松本治さんとのリモート・レコーディングが行われていますが、どういうスタイルだったんでしょうか?

原:ゆふいんラヂオ局でビートルズ番組のお手伝いをするなかで、おうちスタジオの環境が整っていくとともに「今度このマイクが欲しい」とかあるじゃないですか。ナレーションとかラジオのお仕事もいただいてたし、Mannyさんはエンジニアのお仕事もしてるから、いろいろ整えていったんですね。我が家でできる環境も整って、私は「この楽曲は絶対今堀さんに弾いてもらったらかっこよくなるよね」とか「このピアノは飯野さん」とか、先輩方とMannyさんを繋げて。

Manny:今回、松本治さんのトロンボーンをどのようにして録るかっていうのが一番難しくて。松本さんがレコーディング機材を持ってないんですね。でも、僕らは絶対あのトロンボーンが欲しくて。でも、コロナが第4波、第5波が来ている時に東京へ行くのはリスクがあるわけで、何とかしようとっていう時に、「そういえばうちに壊れかけのiPhoneがある」と。それと彼女の買ったマイクを梱包して送って。こっちでPro Toolsで編集している楽曲とどう同期をするかが一番の課題だったんですけども、古典的にクリックの音で音楽を開始することにしたんですね。松本さんには最初の4拍を聴いて演奏していただいて、Pro Toolsで原始的に一致させました。

――そしてジャケットは、木廃材と色鉛筆による立体作品「年輪宇宙~om mani padme hung#01.#02.#03」として第77回現代美術展覧会で入選したそうですね。

原:そうなんです!

――絵を描く時間は長いのでしょうか?

原:このおうちを作ってる時に出た廃材をもらってたんです。昔、父親の家を処分した時に、木を捨てるのがどうしても嫌だった思い出があって、毎日通ってできる限りいただいたんですね。それに色を塗りはじめて、大工さんにお茶出しをするときに見せたりして。とにかく木と色が好きなので、ずっとやっているうちに「年輪宇宙」という作品に自然にリンクしていって。年輪って一本一本、太さも形も違うんですけど、そこに集中して色を塗っていると、時間の積み重ねのことを考えて。今回はお経が少しだけ入っている曲があるんですけど、自分がお経をちゃんと歌えるようになりたいっていうのがずっとあって、私のテーマなんですね。実は今回の裏テーマとしては、「年輪宇宙~om mani padme hung」の年輪がレコードラベルなので、レコードを聴いたらチベット仏教のマニ車(一回転させるとお経を唱えたのと同じことになるチベット仏教の仏具)と同じ効果を目指してるんです(笑)。マニレコ盤と呼んでいただきたく(笑)。

――以前、原さんのもとに、歌手の姫乃たまさんが修行に行きましたよね。戻ってきた彼女が、原さんに教えてもらったというチベット仏教のCDをイベントで流していたことがあるんです。

原:今、おうちができて2年目なんですけど、たまちゃん来てくれたときは、お寺のオンボロ長屋に住んでいたから、そこで発声はできなかったので、私が声出しで必ず行っている山に連れていってさしあげて。参道を走りながら発声して、楽しかったです。その山の上のほうに大社があって、お守りが売ってるんですけど、記念にお揃いで買ってさしあげるとき、「誕生日いつ?」って聞いたら一緒の2月12日だったんですよ。

――おお。原さんのヴォーカル・レッスンの「Vocal Lesson studioOTO♪」は今もやってるんですか?

原:もちろんやってます。今コロナ禍で半分ぐらいにしてますけど。Mannyさんのお友達は音楽好きの方がいっぱいいるので、芋づる式に来ていただいてます。

――コロナ禍で久留米での暮らしはどう変化しましたか?

原:Mannyさんが英会話の先生で、幼稚園や看護学校で教えていて、おうちにも子供から大人まで来るんです。でも、とにかく看護学校で教えているということが大きくて、厳しくてまったくどこにも行けなかったんです。何かあったら大変だしで、私も本当に真面目におうちにいました。

――そういう状況が「Living Dreams」に影響した部分もありますか?

原:こういう状況でおうちにいることがなければ、日々のいろんなものに忙殺されていたし、夏は西伊豆の母のペンションにお手伝いに行くので1か月いなくなるし、集中できない時間を過ごしていたんです。変な言い方ですけど、コロナ禍でなければできなかったアルバムだと思っています。

――「Living Dreams」というアルバムは、10何年の積み重ねであったり、コロナ禍で集中できるタイミングの産物であったり、いろんな要素があったと思うんです。今後アルバムを出すなら、どんな音楽になりそうですか?

原:今回のこのアルバムは、私の声を信じて利用してくれた人と作れたと思っていて。私は漢詩の練習ばっかりしてきたのに、英語かよって思いますけど(笑)。それが活かせたので、この後は「Living Dreams」っていうチームにして、そこからまたみんなで新しい楽曲を一緒に作れたらなって思います。

――原さんのおうち、すごく立派なスタジオですよね

原:もう頑張りましたもん(笑)。お寺の掘っ立て小屋みたいなところに和尚さんに住まわせてもらって、お手洗いも水洗じゃないし。そこから準備をして、ハーフビルドで床とか壁とかを全部Mannyさんと貼って、頑張ってようやくできたっていう感じです。土地としては全然ちっちゃいんですけど、掘っ立て小屋の5年間で、住める空間があればいいし、寝るとこがあればいいっていう結論に達したので、すごく広く見えると思うんですけど、だだっ広く使ってるだけです(笑)。

――でも、音楽をやること関してはベストな場所として作られたわけですよね。

原:結果的になんですけどね。断熱材をきちっとやったら、音のノリがすごく落ち着いたんですよね。おうちで録るのが自分としては気持ちいいんです。私の声をMannyさんに録っていただくのが一番安心できるなって思ってます。

 

【リリース情報】

原みどり「Living Dreams」
(12inchアナログレコード、同内容CD付)

商品番号:HMLP-1225
レーベル:studioOTOrecords
価格:3,500円(税抜3182円)
発売日:2021年12月8日
仕様:12inchアナログ盤   CD付(アナログ盤と同内容)

●プロフィールと作品紹介●
財津和夫with原みどり「償いの日々」で日本コロムビアよりデビューしたはいいが償い続けて云十年。
90年代は菊地成孔・河野伸と共にSPANK HAPPYを結成し活動。
ここ10年の詩吟修行を経て独自に育てた声は、バイリンガルのパートナーMannyのサウンド&楽曲プロデュースのもと、自身がアートワークを手がけた全英語詞のコンセプトアートアルバムへと昇華された。

コロナ禍において福岡~東京を結びリモートレコーディングした今作のマスタリングは「ビートルズMONO BOX」「MONO LP BOX」を手がけたアビーロードスタジオのショーン・マギー氏が手がけた。

レコーディング中に制作したカバーアートの廃材年輪作品「年輪宇宙~om mani padme hung」は2021年「現展」(現代美術展覧会)に入選、緊急事態宣言下に6日間だけ国立新美術館で展示された。
アナログ盤と同内容CD付き。

Side A
1. Yes, I Do
2. No Matter Where You Are
3. Keep on Waiting for you
4. Rain and Wind

Side B
1. White Sands
2. Meaning of Life
3. Thank You, Bye Bye
4. Sleep well

Produced by 原みどりwith Manny
Sound produced, recorded, and mixed by Manny
Mastered atアビーロードスタジオ・ショーンマギー

Remote recordings in 東京
Guitar:今堀恒雄
Keyboard:飯野竜彦
Trombone:松本治

Main Recordings in 福岡
Drums:タカミ☆カズナリ(THE GOGGLES)
Guitar/Bass/Key/etc:満平学
Remote Recording in Oita
Guitar:DJ FAB

Recorded and mixed at A-1studio OTO, 福岡*Nov2020 – June2021
Cover artwork, art direction, and photo : 原みどり(年輪宇宙~om mani padme hung / scratch stars)
Design : 古川早紀, saffron in神奈川
Collage art : 宗藤すずな in 東京
Photography : 印象派in福岡

■原みどりオフィシャルサイト
https://haramidori.com/

 

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