わたしを作ったレコードたち 第3回 / ロボ宙
1990年代半ば、友人が聴かせてくれた脱線3のCD『バチルカ』。「これ、〈Little Bird Strut〉の?」と問い返した記憶がある。スチャダラパーを中心にしたクルー“Little Bird Nation (LB)”の一員にいた関西のヒップホップ・チーム、脱線3。そこにロボ宙がいた。その後、スチャダラパーのライブで客演→レギュラーゲストとなっていったロボ宙さんは、ひょうひょうと関西のお笑いノリを体現しているようでもあり、どこかラップする哲学者のような雰囲気もその頃からあった。
本格的にガツンとやられたのは、ロボ宙&DAU名義でリリースされたアルバム『Life Sketch』(2006年)を聴いたときのこと(マジで素晴らしい作品なのでなんらかのかたちで再発望む)。その後、ヤン富田さんのライブを見に行くとステージに現れた姿を見たり、安田謙一さんのイベントにふらっと現れたとき「あれ? いる!」と思ったり。ようやくごあいさつできたのは、2017年京都磔磔での二階堂和美xスチャダラパーの終演後。25年くらいかかって話せるようになり、〈nearby town〉(2019年7月15日)のイベントではDJとして呼んでもらえた。長い時間話し込んだりしたことはなかったけど、ぼくにとってはいつかこんな話を聞いてみたい人だった。
そんなロボ宙さんが、最初に取り出したレコードが意外な原点だった、というところから話は始まる。
取材/文:松永良平
撮影:松下絵真
撮影協力:高円寺GRASSROOTS
ロボ宙 よろしくお願いします。今日持ってきたのは変なレコードばっかりですけど(笑)。まずは、これを。自分の小学生のときのレコードというか……。
①ロボ宙(小5)/ ウォータールーの戦い(阪神ライブ・レコーディング 1978)
──え……、『MY LIVE RECORD』? これはいったい?
ロボ宙 ピアノの発表会を録音したレコードですね。
──それっていわゆる、数の子ミュージックメイトさんが好きなやつ(笑)。というか、ロボ宙さんが弾いてるんですか?
ロボ宙 そうですね。ピアノは5歳くらいから街の教室でクラシックを習ってて。こういうレコードは発表会の記念写真的に「今日、録れますけどどうします?」みたいな感じで作ってました。みんなまだ家にレコード・プレイヤーはあったから。発表会を録音して、あとでプレスして送ってくれてました。
──当然ながら、プレスは一枚限りですよね。
ロボ宙 そうですね。レーベルは「阪神ライブ・レコーディング」。今日は2枚持ってきたんですけど。
──7インチと8インチの2枚ありますが。
ロボ宙 8インチのほうが78年で、ぼくは小学5年生ですね。7インチが81年で、13歳くらいかな。
──この5年生のほうがロボ宙さんのファースト・レコーディング!
ロボ宙 まだ「ロボ宙」とは名乗ってないですが(笑)
──聴いてみていいですか?
ロボ宙 こないだ友達の家でもこれ聴いたんですけど、その頃の自分の部屋とかを思い出しちゃいますね。普通にうちの母ちゃんが料理作ってる音とか、部屋に置いてあったものまで全部。あ、ここ間違ってる(聴きながら苦笑)。
──音が生々しい! いや、でもかわいいですね。指の力とかがまだ幼くて、懸命な感じがします。
ロボ宙 そろそろデータ化しておかないと聴けなくなるかもしれないですね。ラッカー盤的な弱い材質だから。
──周りの友達でもピアノを習ってる子はわりといたんですか?
ロボ宙 いましたけど、男の子は少なかったですね。ぼくは高三まで続けたんですよ。
──すごい。もしや、その道に進みたい気持ちがあったとか?
ロボ宙 いやー、クラシックは本当にすごい人がいっぱいいるので。先生も最初は厳しかったんですけど、高校生くらいになったら「教室に来るだけでおもしろい」と思われてましたね。高校では普通に部活でラグビーもやっていて、部活の帰りにピアノ教室行く、みたいな毎日でした。
──バリバリ体育会系じゃないですか(笑)!
ロボ宙 だいぶレアキャラでした。「まさか背丈が自分より大きくなっても来てくれるなんて」みたいな感じ。もうその頃は演奏がフリーフォームになってきて、よくわかんない感じでやってましたね(笑)。
──いやしかし、まさか小学生時代のロボ宙さんのピアノから始まるとは、びっくりです。
ロボ宙 今回の取材受けるにあたって、いちばん最初といまやってることをつなげてみようかなと考えてみたんですよ。子どものときのレコードは自分で作ったんじゃなく、作ってもらったんですけど、それから40年以上経って、いまANIくん、AFRAくんと一緒にやってる〈Donuts Disco Deluxe〉というユニットでは、自分でレコードを作ってる。渋谷の〈contact〉でやってるイベントで、null recordsという、その場でレコードをダイレクトカッティングしてくれるお店に協力してもらって、自分たちで7インチを作ってるんです。
〈Donuts Disco Deluxe〉のトラックは基本的に自分のデモテープなんですけどね。こうやって盤にしたら自分でもこすったり、使えるじゃないですか。ダブプレートというより「自分プレート」。自分だけの録音物も、普通に流通してるレコードも両方好きなんですよね。レコードに記録されたものが好きなのかもしれない。
──なるほど!
ロボ宙 null recordsのナルさんは東洋化成の現役カッティング・エンジニアでもあって、今年、VIDEOくん(VIDEOTAPEMUSIC)と作った7インチ「サイエンス・フィクション」も彼に担当してもらいました。
ロボ宙&VIDEOTAPEMUSIC / サイエンス・フィクション
いつもイベントで1枚1枚本気で作ってくれるから、いつか正式な作品でもお願いしたいなと思ってたんです。レコード好きが高じて、自分のレーベルを作りたくなったという部分も結構あるし、これからいよいよ自分で作るほうにシフトしていかなくちゃとも思ってるし。自分でやるんだったら、すべて自分の言葉で、ちゃんと好みも伝えられる関係の知り合いとやりたいなと。海外プレスとかだと、そこを伝えるのが難しかったりするから。
──よくわかります。
ロボ宙 で、次はまた子どもの頃に戻ります。これ聴きましょうか。
②スネークマンショー/ 死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対!(アルファ 1981)
──お、スネークマンショー。影響は大きかったですか、やっぱり。
スネークマンショー/ 死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対!
ロボ宙 大きかったですね。
──どういうきっかけで知ったんですか? 「咲坂と桃内のご機嫌いかが1・2・3」(1981年)は当時ヒットしましたけど。
ロボ宙 いちばん最初はなんだったかな……。『TVジョッキー』かな。素人が出てきて、このレコードをそのままかけてコントする、みたいな場面があって。それを見たのが最初だった気がする。
──へえ! 最初の2枚(『スネークマンショー(急いで口で吸え)』『死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対!』)は、この当時の中高生はみんな聴いてましたね。ギャグと音楽、両方大事でしたね。音楽はわけわかんないんだけど。
ロボ宙 そうですね。全部覚えてるもんな。
──これがやっぱりいろんなことの入口っぽいですね。
ロボ宙 その頃の思い出だと、中学になると学校にすげえ音楽に詳しいやつがいるじゃないですか。そういう子の家に、ぼくともうひとり音楽好きの友達とよく入り浸ってましたね。彼の家には聴きたいものが全部あるんですよ。ステレオセットも全部揃ってて、レンタルしたレコードをダビングしたカセットとか、聴いたことないレコードとかもあって。
その子は正統派のハードロックが好きだったんで、普通にレッド・ツェッペリンとかディープ・パープルとかも死ぬほど聴いて、その合間にスネークマンショーとかYMOを聴いてましたね。パンクとかは、まだ「セックス・ピストルズってバンドがいるのは知ってるか?」くらいの感じ。
──中学生っぽい会話(笑)。
ロボ宙 当時のレコードだと、(一枚取り出し)松永さんはこれは聴いてないですよね? あんまり聴いたことある人いないはず。
③原田伸郎/ サーティ・ラブ(エレクトラ 1981)
──? ……ああ、あのねのねの、原田(伸郎)さん? しかもソロ・アルバム!(笑)
ロボ宙 小学生くらいかな、深夜ラジオをすごく聴いてて。大阪だから『MBSヤングタウン』ですね。『ヤンタン(ヤングタウン)』は、あのねのねではなく原田さんがひとりでやってたんです。すごく好きで、このアルバムも出たとき買ったと思います。よく聴いてましたね。
──「私は東京のバスガール」のトラックがかっこいい。ほぼヒップホップ(笑)。
ロボ宙 (「みかんの心ぼし」が流れ出し)これもすごい好きでしたね。
あのねのね/ みかんの心ぼし
──これは知ってる! あのねのねのヒット曲ですよね。そうか、この時期あのねのねはアルバム出してないから、原田さんのソロ作に入ってたんだ……。
ロボ宙 さっきのスネークマン・ショーみたいなのを音楽好きな友達と聴く時間もありつつ、その時々のベタな流行りもいっぱい聴いてましたね。高校生になるとスポーツばっかりやってたんで、あんまり自分では音楽は聴けなかったかな。でも、その時期にあった自分のルーツってわけでもないけど、これ聴きましょうか。
④Art Garfunkel / Breakaway (Columbia 1975)
──おっと、アート・ガーファンクル、渋くないですか。
ロボ宙 え? ポール・サイモンじゃないんだ、と思われるかもしれないけど、これをなぜ出してきたかというと……。実家は大阪の枚方なんですけど、その近くに関西外大(外語大)があって、当時はうちにも海外からの留学生がホームステイしてたんですよ。スコットっていうアメリカ人が持ってきて、そのまま置いていったレコードのひとつですね。
大学生のレコードを聴くっていうのは結構大事な体験でしたね。ぼくは長男で、兄がいなかったというのもあったし、まず「レコードを聴いてる」という行為自体がかっこよかった。彼が持ってきてたのはマイケル・ジャクソンの『Off The Wall』とかのヒット物で、別に大したレコードじゃなかったんですけどね。でも、このアート・ガーファンクルは聴いたらすごくよかった。この曲とか。
Art Garfunkel / Waters Of March
──こんなのが部屋から漏れ聴こえてきたら最高じゃないですか。
ロボ宙 スコットがホームステイ中に「日本昔ばなし」のレコードが欲しい、って言い出して、うちの母親が買ってあげたんですけど、ホームシックにかかると、それが部屋からは流れてきてましたね(笑)
あと、ラグビー部にサイモン&ガーファンクルをコピーする先輩がいたんですよ。その人が学園祭で、初期のRCサクセションとか二人組でコピーして歌ってるのを見て、中学生の頃に自分も友達の家に集まって音楽聴いたりしてたことをすごい思い出して。それで、ふつふつと自分でもなんかやりたいという気持ちがちょっと湧いてきて。
──ピアノも弾けるわけだし。
ロボ宙 そうなんだけど、やってたのはクラシックなんですよ。ギターとか、クラシックじゃないことやりたかった。でもギターはうまいやつがいるし……。そんな思いが高じて、ヒップホップになっていったという(笑)
──なるほど!
ロボ宙 ニューウェイヴには乗り遅れたし、パンクをやるには体が大きすぎたし(笑)。年齢的にもヒップホップでしたね。当時はRun-D.M.C.とか、Def Jamの全盛期でしたね。でも、どうやったらいいのか自分ではまったくわからず。とりあえずターンテーブルにおもしろいレコードを乗せる、みたいなことからはじめました。おもしろい言葉の入ったお笑いのレコードのしゃべりの部分だけとかをこすりネタとして買いはじめて、ブレイクビーツと合わせて、みたいな感じだったらできるんじゃないか、って。まあ、それは家のミニコンポで遊びはじめたくらいの感じの話です。「これとこれ合わせたらおもしろくね?」みたいな。脱線3をはじめてからは、DJに「このレコードこすって」って渡すようになりました。まあ、脱線3結成までの道のりを話すと長くなるんで、いろいろ省きます(笑)。
──しかし、お笑いのレコードが身近にあるのって、大阪ならではな気がします。
昔からそういうレコードは好きなんですよ。ラジオ聴いてるような感覚だったのかなあ。大阪は、普通の人でもおもしろいしゃべりの人、いっぱいいますしね。最初の頃は、おもしろいしゃべりがラップにはいちばん近いんじゃないかと思ってましたね。漫才のリズム感とかも参考にしました。テントさんのレコードとかね。昔の人のギャグとかを研究したり。(自分が入り浸ってた)ベアーズにいる人たちがそういうのに異常に詳しかったりもしたんで(笑)。どうやってそれをヒップホップに落とし込むかを考えてましたね。
次に聴くこれは、そんな時期に、言葉のおもしろさで当時買ったレコードですね。
⑤Digable Planets / Rebirth Of Slick (Cool Like That) (Pendulum 1992)
Digable Planets / Rebirth Of Slick (Cool Like That)
──ディガブル・プラネッツ。でも、これはおもしろというよりかっこいい曲でしたよね。
ロボ宙 でも、ディガブル・プラネッツはポエトリーとかに近いですよね。彼らは普通のB-BOYからはちょっとバカにされてる感じというか、ハードコアな方面から見るとなよっちく見られてましたね。あとあと評価されるんですけどね。
ぼくがヒップホップにどんどん傾倒していった頃、最初はDef Jam系だったんだけど、だんだんニュースクールが出てきて、ジャズっぽい要素が入ってきた。ヒップホップはいろんな要素が入れられるアートフォームだとわかってきたんです。デ・ラ・ソウルのファースト(『3 Feet High and Rising』)とかがそうだけど、自分たちと同じような世代の人たちが昔聴いてたレコードをサンプリングして、自分らの言葉でラップする。そういうことが衝撃的でしたね。ラップの仕方もそれまでとは違って、しゃべりっぽい。
でもまあ、こういう影響を自分のなかで消化できるのはだいぶあとなんですけどね。「こういう洒落たのを聴いてるのに、なんで自分でやると全然違うのになるんだろう?」と思ってましたね(笑)。すいません、これも聴いていいですか?
⑥A Tribe Called Quest / Midnight Marauders (Jive 1995)
A Tribe Called Quest / Midnight Marauders Tour Guide
──お、大名盤!
ロボ宙 こういうしゃべりもすごく好きなんですよ。カル・ジェイダーの曲の上でしゃべってるだけなんだけど(笑)。
──この頃のヒップホップはスキットがどれもセンスいいんですよね。
ロボ宙 そうなんですよ。いまはスキットあんまりなくなっちゃったけど。
──サブスクだと飛ばされちゃうから。
ロボ宙 デ・ラ・ソウルのファーストなんてスキットだらけですけどね。すいません、これの2曲目も、お願いします。
⑦ED O.G. & Da Bulldogs / →EASY COMES EASY GOES(jazz poet mix 1994)
ロボ宙 脱線3がメジャー・デビューする前くらいかな。ニューヨーク行って、向こうのニューミュージック・セミナーのショーケースのライヴを見たりしてましたね。
そのうち、ニュー・スクールと言われた人たちはみんなオールド・スクールに影響を受けてると語っているのを知り、自分がリアルタイムでは聴いてなかった80年代音源を聴きはじめたんですよ。ライヴの録音とかのカセットをレコード化したようなのを買いはじめていくなかで聴いたのがこの曲でした。
⑧Rammelzee Versus K.Rob – Beat Bop (Profile 1983)
Rammelzee Versus K.Rob – Beat Bop
ロボ宙 まさにグラフィティのドキュメンタリー映画『Style Wars』(1983年)の世界観ですけど、「この曲だけは絶対聴いといたほうがいい」みたいにみんな言ってましたね。これもやっぱりしゃべり芸、語り芸ですよね。友達にこのリリックを全部日本語に訳したやつがいましたけど、抽象的すぎてまったく意味がわかんなかった(笑)
──アメリカのラッパーたちがなにを言ってるのかは気になりました?
ロボ宙 CDに日本語訳がついてるのはすごい読みました。リリックがおもしろい人には惹かれます。クール・キースとかのリリックもすごいおもしろかったですけどね。
さっきのディガブル・プラネッツは、じつはすごいリリックがおもしろかった。宇宙からやって来ただったか、昆虫の名前だったか、全部そういうもうひとつの名前があるSFノリなんです。ニッケルバッグを持って、新しい星のピクニックに行こう、みたいな。P・ファンクみたいな設定をもっとポップにやってるんですよ。
──ちなみに、ロボ宙さんが東京に出てきたのはいつ頃?
ロボ宙 27くらいだから90年代半ばかなあ。仕事が忙しくなって来たんで、東京に住んだほうが早いなと。大阪にいても、年上か一回りくらい下で、同い年くらいのラッパーってそんなにいなかったんですよ。だから、両方わかる人があんまりいなかった。
──両方?
ロボ宙 たとえば、あのねのねとラメルジーがつながらない、みたいな(笑)。LB(Little Bird Nation)の連中はみんな同い年くらいだったし、おもしろいものとヒップホップの今がつながるんですよ。スチャダラだったら、「あのねのね」って言ったらすぐ3倍くらいにして返してくれるから(笑)。
──最初に東京で住んだのは?
ロボ宙 渋谷ですね。あの頃、〈FANTASTICA〉ってレコード屋があったの覚えてますか?
──はい。宇田川町の裏手。
ロボ宙 あそこの隣の隣に住んでたんです。〈FANTASTICA〉には、いわゆるモンド、ラウンジ的なレコードが充実してて、友達が店員をやってたんで毎日あそこでレコード聴きながら昼飯食べてたんです。結構あの店で実際に目にして聴いたレコードは多かったですね。ケン・ノーディンの『Word Jazz』とか『Colours』とか聞いてましたね。高木完さんが紹介してくれたのかな。
Ken Nordine / My Baby
Ken Nordine / Colors
のちにヤン(富田)さんの家に行くようになったら、いろいろ聴かせてくれました。ヤンさんとライブするときは『Word Jazz』ぽくなるというか、普通のラップはできない。電子音楽に対して言葉を置いてく感じだから、すごく参考にする一枚です。
その感じで、次はこれですね。
⑨V.A. / Lyricist Lounge (Rawkus 1998)
sarah jones / blood
ロボ宙 90年代後半、ヒップホップがどんどん形式的になって、グッとくるやつが少なくなってきて。そのなかで、詩人たちがインストバンドをバックにポエトリーをやってるこれとかは新しい動きでしたね。さらに、ヒップホップから離れて、なんとなくハウスとか聴くようになっていって、だけど自分がDJでかけるのはやっぱりヒップホップを通過したような、ちょっとずれたほうに行くんです。それでなんとなくこれで。初期ストーンズ・スロウの再発。
⑩Co Real Artists / What About You (In The World Today) (Jordan、1974)
Co Real Artists / What About You (In The World Today)
──かっこいい! イーブンキックのアフロファンクみたいな。
ロボ宙 そうですね。ハウスの端っこの方にある「なんだこれ、よくわかんないな』みたいなレコードで、ラップでもあるし、どっちにも混ぜれる。結局、ぼくはラップの親戚みたいなのをずっと聴いてるのかもしれない(笑)。ラップも好きだけど、その親戚とか友達にあたるようなレコードがすごく好きで。いろんなジャンルにそういうのがあるから。
──“親戚レコード”って、いい表現ですね。
ロボ宙 ヒップホップとか全然強くないような店で、そういう“親戚レコード”を見つけるのが好きなんですよ。普通のB-BOYは絶対スルーしそうなラインなんだけど、なんか匂いがする。ダンスミュージックとかいろんなところに遺伝子が飛んでいってるのが好きなんですよ。じゃあ、これがラストチューンなのかな、わかんないけど(笑)
⑪Hey – Summer Of Seven 3/7 (Pingpung 2011)
──聴いてみましょう。
Hey – Summer Of Seven 3/7
ロボ宙 これは、いろんなところにそういうのがいっぱいあるというアレです(笑)。エレクトリック・ダブというか。「サイエンス・フィクション」ではこういうことをVIDEOくんとやってみたかった。原田伸郎のソロの要素は入ってないかもしれないけど、自分が好きだった語りの感じと、ヒップホップの横にあった友達や親戚だったりするような、僕が聴いてきたレコードの感じで。
ポエトリー・リーディングってついついまじめなこと言いがちだから、そこは避けたい。そこはやっぱり自分が聴いてきたりやってきたりしたことが根っこにあるから、変な要素を入れたくなるし、オフビートな部分もやっぱり入れたいというのはある。入れすぎるとすごいアレだけど、どれくらいまでならおもしろいほうに振れるのか、入れ具合は常に考えてますね。
じつはラップの元祖はいろんなところにある。日本だけで言ってもしゃべり芸だってあるし、さかのぼると膨大なことになる。いろんなものが混じり合ってラップになっていったんだと思うんです。自分が好きだったレコードだって全部いまにつながってるんですよ。意識して買ってたわけじゃないんだけど、気づいたらそうだったというのはコロナ禍でいろいろレコードを整理しているときに気づいたことでもある。なにが好きでこういうの買ってたのかな、とか。いまだに捨てられないんですよ「みかんの心ぼし」とか(笑)。
中学生のときにレコード好きのやつらが集まったあの時間からつながってる。あの友達のおかげで死ぬほどツェッペリンとか聴いたけど、あれがもっとニューウェイヴ好きとかだったらぼくの人生も変わってたかも(笑)。
──でも、その混ぜこぜなのがよかったんじゃないですか? いまはサブスクでなんでも聴けるけど、逆にちょっとでも好きな感じと違うなと思ったジャンルは一切摂取しない傾向になってますよね。異物が体にないと、体質が弱くなる気がします。
ロボ宙 ねえ! それはもったいないですよ。僕ら世代は異物だらけだから(笑)
【作品情報】
アーティスト:ロボ宙 & VIDEOTAPEMUSIC
タイトル:サイエンス・フィクションc/w amazing world
レーベル:omiyage
品番:OMIYAGE/004
Format:7inch
価格:1,500円(税抜)
発売日:2021年8月4日(水)