わたしを作ったレコードたち 第6回 / ゑでゐ鼓雨磨(ゑでぃまぁこん)
姫路にゑでぃまぁこんというバンドがあり、無数の音源をCD-Rで出している。そしてそのどれもが素晴らしい……と、うわさだけはかなり前から聞いていた。実際にその演奏を見たのは2014年の春、神戸・塩屋の旧グッゲンハイム邸だった。
そのとき、自分が聞いていたうわさはなんだったんだと思った。うわさがうそだったと思ったのではなく、うわさから想定していた音楽の、そのはるか上にあると思えたほどライヴが素晴らしかったから。そのときの彼らは7人編成くらいだったか。何時間もやったような記憶さえある(実際には40分くらいだったはず)。
ふわふわとゆらゆらと。リード・ヴォーカルの女性(ゑでゐ鼓雨磨)を中心にしたバンドのアンサンブルはとことんまで静かでドリーミーで。だが、スローライフ的な穏やかさではなく、芯にびりついた何かがあり、どこか民話や寓話にまつわるおそろしさみたいな感覚も帯びていた。ひとことで言えば、それは稀有な体験だった。
ゑでゐさんとちゃんと話すようになったのは、それからずっとあとのこと。初回の体験がそれほど衝撃的だったので、ライヴ後に気さくにふるまう彼女に対して話しかけるなんて無理!と思っていた。ごめんなさい。ゑでゐさんはそんな面倒な要素ゼロの愛すべき人なんです。
今回、ゑでゐさんがパートナーの柔流まぁこんさんと暮らす姫路のご自宅にお邪魔して、「わたしをつくったレコードたち」についての話をうかがった。彼女がこれまで作ってきたたくさんの曲やいろんな音楽の隙間を埋めていくようなレコードの数々についての話を聞きながら、ぼくは世間話をしてるつもりで不思議な夢を見ていた気がする。
取材/文/撮影:松永良平
撮影協力:ゑでゐ鼓雨磨
①南こうせつ『ねがい』(日本クラウン、1976)
ゑでゐ鼓雨磨 親がこうせつ好きやったんです。家でフォークギターを弾いてました。だから、わたしも3、4歳のちっちゃい頃から聴いてました。初めて親に連れられて行ったコンサートも、こうせつなんです。
──セカンド・アルバムだから、かぐや姫が解散してからまだ間もない時期ですよね。このアルバムにはどんな曲が入ってるんですか?
ゑでゐ たまたまこうせつさんのレコードが今これしか手元になかったから選んだんですけど、このアルバムだと「今日は雨」とか好きでした。
──早速聴いてみましょうか。
南こうせつ/今日は雨
ゑでゐ 家族で車に乗っておばあちゃん家とかに行くとき、車が8トラしかかからないやつだったんで、いつもお母さんがラジカセ抱えて乗って、こうせつのカセットをみんなで聴いてました(笑)
──お母さんも歌うし、みんなも歌う。
ゑでゐ そうそう。
②Yellow Magic Orchestra『増殖』(ALFA、1980)
ゑでゐ 近所のおにいちゃんが、自分の家にプレーヤーがないからいつもうちの家に「聴かせてくれ」って遊びに来て、うちでカセットに落として帰ってたんです。そのときにうちも「すごい!面白い!」ってなって、ずっと聴いてました。これと『サーヴィス』(1983年)が好きでした。音楽も好きなんですけど、たぶん、合間にコントが入るのがもっと好きやったんです。
──『増殖』はスネークマンショー、『サーヴィス』は三宅裕司さんのSET(スーパー・エキセントリック・シアター)がスキットとして入ってるんですよね。確かに、当時はそのギャグ込みで流行ってた印象です。曲で好きなのは?
ゑでゐ 「Tighten Up」は好きでしたね。YMOのオリジナルやと思ってた。変な声で真似しよったもんね、「サケノメ、サカモト!」とか(笑)
──まだ坂本龍一さん、細野晴臣さん、高橋幸宏さんたちの名前は認識する前?
ゑでゐ うん、誰が誰とかはようわかってなかった。でも「ホソノ!」とか曲のなかで名前を呼ばれてたのは印象的で、その都度、おにいちゃんに「これは誰?」とか聞いたりしてた。あの頃は、伊武雅刀と細野さんがそっくりに見えてたし。坂本龍一さんのことはわかってたかな。
──じゃあ、「Tighten Up」聴きますか。
Yellow Magic Orchestra / Tighten Up
──この小林克也さんをゑでゐさんが真似してたんですね(笑)。かわいい。小学生ですよね。もう楽器は始めてました?
ゑでゐ 最初はオルガン習ってて、それがエレクトーンになった頃ですね。グループで発表会出たりして。YAMAHAの音楽教室なんで、バイエルとかじゃなくポップス弾いてました。
③ジャッキー・チェン「マリアンヌ」(ワーナー・パイオニア、1983)
ゑでゐ これが自分の小遣いで初めて買ったレコードです。ジャッキー・チェンが大好きなんです。ジャッキーが歌手デビューして出したんで「これは欲しい!」となりました。もうずっと一緒に歌ってました(笑)
──五輪真弓さんの作詞作曲、アレンジは後藤次利さんですね。やっぱり、ジャッキーは『ドランクモンキー 酔拳』(1978年)や『クレイジーモンキー 笑拳』(1979年)から入りました?
ゑでゐ そうですね。最初にテレビで『酔拳』見て、もうそこからは夢中。当時、日本語のアルバムも出してたんで、それも買いました。
ジャッキー・チェン/マリアンヌ
──ゑでゐさんはいつぐらいから作曲を始めたんですか?
ゑでゐ 曲は4歳の頃からずっと作ってたんです。ノートに歌詞だけ書いた歌帳みたいなのを作って。そのノート見ながら、オルガン弾いて歌ってました。でも中学生の頃、それを親に見つかって。友達と交換してた手紙とかも一緒に。そのあと恥ずかしくなって全部燃やしちゃったんです。
──え! もったいない! 今でも覚えてるのはないんですか?
ゑでゐ 最初に作った曲しか覚えてないです。「おにいちゃんのあたま」(笑)
──かわいい!(笑)
ゑでゐ 「おにいちゃんのあたまがつるっぱげ」っていうそれだけの曲なんですけどね。ふふふふふ。あのときうちは他になにを書いとったんやろ? ってときどき思い出しますね。
──うーん残念。でも残像が意味をなすときもありますからね。気を取り直して、次に行きましょう。
④O.S.T.『プロジェクトA』(ビクター、1983年)
──次もジャッキー・チェン! 帯付きですね。
ゑでゐ (『プロジェクトA』より前の)時代劇風のカンフー映画も好きやったけど、この映画見たとき「すごいー!」って思いました。セリフも入ってるサントラです。やっぱり広東語で歌ってるジャッキーがすごい好き。
──じゃあ、聴きますか!
ジャッキー・チェン/プロジェクトAのテーマ(東方的威風)
柔流まぁこん この曲、ゑでぃまぁこんでもカヴァーしてましたよ。
ゑでゐ テンポはもっと落として、歌詞は耳コピで。ジャッキーのカヴァーと知らずに聴いた人は、ブリティッシュフォークのカヴァーと思ってたみたい(笑)
⑤Wham!『Fantastic!』(EPIC、1983年)
ゑでゐ ワム!、カルチャー・クラブ、マドンナ……、めちゃくちゃ好きでした。特にワム!はCMで空中に浮かんでるやつがあって、「わー、この人ら何?」って思って、レンタルして聴いたらめちゃ好きになりました。
──CM曲は「Bad Boys」ですね。
ゑでゐ 最初に好きになった曲は「Bad Boys」やけど、「Club Tropicana」も好きやったな……。アルバム単位で言えばこの次のアルバム(『Make It Big』)のほうがもっと聴いたと思います。チェッカーズとかも好きやったけど、MTVをよく見てたし、洋楽が好きになっていきましたね。
Wham! / Bad Boys
ゑでゐ このあと、好きな音楽はメタルに変わっていきました。もうメタルしか聴かへん、みたいな感じ。ガンズ(アンド・ローゼズ)がめちゃめちゃ好きになったんです。テレビでも結構メタルの番組やってたし、おにいちゃんもメタルにハマってたから一緒に聴いてました。結構ミーハーやからルックスがいい人がだいたい好きになってました。メガデスとか、ザック・ワイルドとか、ニッキー・シックスとか。『PURE ROCK』っていうハードロック/ヘヴィメタル専門の番組を深夜にやってて、それを見てよけいに好きになったかな。
──ライブを見に行ったりは?
ゑでゐ それは全然してないんです。姫路の隣の龍野に住んでる箱入り娘だったので(笑)。初めてライヴに行ったんは高校を卒業するとき東京ドームで見たガンズでした。『Use Your Illusion』(1991年)のツアーやったかな。そのときちょうどニルヴァーナも来日してて。どっちにするか、みたいな話になったとき、おにいちゃんが友だちとガンズに行くって言ってて、「だったらあんたもおにいちゃんと一緒のやつに行きなさい」って親にも言われて。席は上の上の端っこで、本当にちっちゃくしか見えなかった。ライヴの中身は、ほとんど覚えてないです。バンドが出てくるのがすごい遅くて、お客さんが待ちながら大合唱しとった。とりあえずTシャツだけ買って帰りました。
──ガンズは今回セレクトしてないんですね。
ゑでゐ 持ってるのがCDなんですよ。その頃は家のレコード・プレーヤーはもう潰れてて、CDプレーヤーも持ってなくて、友だちにダビングしてもらったカセットを聴いてました。高校卒業するときにCDデッキを買ってもらって、やっとCDを買い出したんです。そのあたりからフェイス・ノー・モアがすごい好きになって。ニルヴァーナ、パール・ジャムとかグランジ系も好きでした。あと、スナッフの「カタツムリ」って言ってる曲(「Den Den Mushi Mushi」)をすごい気に入ってしまって、メロコアとかも聴いてましたね。
Snuff / Den Den Mushi Mushi (1991)
──グランジとかメロコア好きになってくると、インディー・ロック好きとして自分でもバンドをやる流れになるのでは?
ゑでゐ そうなんです。大学に入ってからバンド始めました。「大学に入ったらバンドやろなー」みたいなことを高校時代からの音楽友だちだったBILLと言ってたんですけど、入った大学に軽音部がなかった(笑)。それで、その友だちと一緒に関学(関西学院大学)の軽音サークルに入ったんです。でも、ギターとか何もでけへんから一緒にバンド組んでくれる人もいなくて(笑)。それで初心者だけのバンドを組まされたんです。そのとき、うちはギター・ヴォーカル、BILLがドラム、男の子がベースとギター。みんな初心者やから、とりあえず簡単な楽譜を探してコピーし始めたのが、ピストルズ、ラモーンズ(笑)。最初は前向いて歌うのも恥ずかしくて、普通には歌われへんかったですね。バンド名も、サークルの発表会とかのたびに変わってました。
──でも、そこから転機がやってくる。
ゑでゐ 2回生になるときかな、サークルの先輩にジャックスや裸のラリーズを教わったんです。
⑥ジャックス『からっぽの世界』(東芝エキスプレス、1968年)
ゑでゐ これも当時はCDで聴いてたんです。レコードで買い直したのは最近です。最初に「マリアンヌ」聴いたときは、びっくりしました。
──ジャッキー・チェンの「マリアンヌ」からジャックスの「マリアンヌ」へ!
ジャックス/マリアンヌ
ゑでゐ 「からっぽの世界」はその前に聴いたことあって好きは好きやったんですけど、こっちはまた違って、すごいフリーでジャジーだし、歌も衝撃だし、ガーンて来ました。ギターの音のグニャーンってなる感じにも「わ!」ってなりました。上手いとか下手とかで判断できん。
──なんで先輩はゑでゐさんにこれを教えてくれたんでしょう?
ゑでゐ その先輩も、地元のアングラにいちゃんみたいな人にいろいろ教えてもらってたみたいなんです。そのアングラにいちゃん、あとになってわかったんですけど、人間ロケットの池田(猛巳/ロケットSON)さんやったんです。
人間ロケット/ゴンドラの唄
ゑでゐ その先輩とBILLとうちで、サークル内のバンドとして怖(COA)を始めたんです。最初は4人でした。結成したときは、うちはベースを弾いてました。ちょうどその頃は、ジャンクっぽい、ぐしゃってして締まりのないような音楽が好きやったんです。その先輩は大学を卒業するからバンドを脱けたんですけど、うちとBILLは「先輩がまた戻れるようにふたりで練習しとこか」って話し合って、姫路のサテンドール(マッシュルームの前身)で練習してたんです。そしたら、サテンドールで働いてた池田さんがその漏れ音を外で聴いてうちらに声かけてくれて。話しとったらあの先輩と知り合いやったこともわかって「えー!」ってなったんです。変な縁でした(笑)
──ついに怖(COA)がスタート! 92年の話ですね。しかし、その先輩がキーマンだったんですね。
ゑでゐ 先輩には「元ラリーズのすごい人が姫路におるで」とも聞いたりして。
──もしや、ヒロシNaさん!
ゑでゐ でも、その頃はまだヒロシさんとは出会ってないんです。先輩に「元ラリーズの人が」って聞いたときもあんまりピンときてなかったし。まさかその後こんなに長い付き合いになるとは思ってなかった(笑)。ヒロシさんと出会ったんは、池田さんとうちらが知り合って少しあと。サテンドールのスタッフが全員辞めちゃって、新しい人を雇って店名がマッシュルームに変わる頃、池田さんがヒロシさんをPAサブでバイトに誘いはったんです。
──そこで、かつて先輩に聞いた「元ラリーズの人」が登場。
ゑでゐ でも、そのときはそんなすごい人とは知らんかった。ヒロシさんは、いつも短パン履いて帽子かぶって姿勢が良くて軽やかで、外人のオヤジさんみたいな感じでした。シラノ・ド・ベルジュラックみたい。「シラノのおっちゃん」って最初は呼んでました。
──ヒロシさんとラリーズの話、したことあります?
ゑでゐ あります。水谷さんのライヴも見ました。ヒロシさんが働き出して、クリスマスにマッシュルームでイベントをやろうということになったんです。そのときに、ヒロシさんが「水谷さん呼ぼう」って言って声かけてくれて。ライヴは、水谷孝+Niplitsって名義でやってました。
水谷さんは、すごい華奢で、はかない感じ。でも、なんやろう、「生きとる」みたいな存在感でした。マッシュルームの建物の上がホテルで、水谷さんはライヴの前日からそこにに泊まってはったんです。うちが受付してたら、ヒロシさんと水谷さんが降りてきはった。階段の途中で止まって、壁にもたれて、ヒロシさんとふたり見つめ合って、またちょっと降りては止まって、お互いにポーズ取り合って、みたいになったのを覚えてます(笑)。
「あー、水谷さんやー」ってうちがあいさつに行ったら、早足でこっちに来て「ぼく、水谷、よろしく」って言って握手してくれはった。うちは自分の名前以外に何をしゃべったか覚えてないです。水谷さんはほとんどしゃべらず、ロビーに座って、じーっとしてはった。ヒロシさんと何をしゃべってるのかも、ちっちゃい声すぎてわからんかった(笑)。ヒロシさんも、いつものダジャレ言ってるおじさんみたいじゃなく、水谷さんと一緒にいるとカッコつけモードというか、ラリーズの感じになってはって。ちょうどクリスマスやったし、水谷さんが甘い物すごい好きやって聞いてたから、「水谷さんにも分けてあげよー」ってクリスマスケーキ切って持って行ったら、なんかニコってしてはった。
──ひとつひとつのエピソード、立ち振る舞いが印象的ですね。
ゑでゐ そのときのライヴはもう、かっこよかったですね。弾きまくるんじゃなくて、ジャーンって弾いて、あとは踊ってる感じでした。そのあと、もう一回水谷さんがマッシュルームに来はったことがありました。ニプリッツのギターのジンさんがやってるダストってバンドにベースで参加して。でも、演奏のスタイルは一緒でした(笑)
⑦Faxed Head『Necrogenometry EP』(Amarillo、1993)
ゑでゐ 怖(COA)をやってたときに知ったバンドで、グラックス(キャロライナー・レインボー)やトレイ・スプルーアンス(ミスター・バングル)がいます。来日したとき、ベアーズでうちらと対バンしたんですよ。うちミスター・バングル当時めちゃめちゃ好きやったのに、そのときはトレイさんがミスター・バングルの人って知らんかったんです。このバンドが好きやったというより、ミスター・バングルがめちゃくちゃ好きやったから選んだ感じです。
Faxed Head / Pantera Lines
──そのツアーに行ったときが初アメリカ?
ゑでゐ バンドとしてはそうです。CBGB’S出たんですよ!
──すごい!
ゑでゐ うちらとThe Machine Gun TVの二組で、どさ回りみたいな感じのツアーでした。東から西へ10日間くらいで8ヶ所。ワシントンD.C.から始まって、ニューヨーク、シカゴ、デトロイト、クリーヴランド、カンザスシティ、ロサンゼルス、サンフランシスコだったかな……。ライブしたら移動して、途中のモーテルに泊まって、シャワーを順番に浴びて。移動とライブの連続でした。
向こうでツアーマネージャーのサムさん(ニムロッド、ありぢごくのドラマー)が車を運転してくれたんですけど、高速乗った途端に警察に捕まって。そんなん初めてやしすごいドキドキして、「怖い怖い」言うてました。ツアー中、ずっとドキドキしてる感じでしたね。初めてやから楽しかったけど、ほぼどこにも行けず。サンフランシスコでちょっとだけ街には行けたけど、CBGB’S行ったときは「楽器の見張りしとかな盗まれる」って言われて、ドラムセットの前でふたりでずーっと見張りしてました(笑)
──90年代半ばで、まだ危ない頃のニューヨークですよね。特にあの辺のエリアは怖かった。
ゑでゐ そのなかで、クリーヴランドはちょっと田舎な街で、結構ゆるい不思議な感じでした(笑)。小さいレコード屋兼事務所みたいなところでやったんですけど、アニメや松田聖子とか日本好きの子がやってるメロコアのバンドが対バンやったんです。うちらJapan Overseasってレーベルから出してたんですけど、うちらが行くということで地元の人たちがすごい歓迎した感じでステージ作ってくれとって。漢字で「日本海外」ってロゴ書いて、高橋留美子の絵を真似したようなイラストのパネル(笑)
ところが、うちらの前に対バンが終わったら客がみんな帰っちゃったんです。誰もおらんようになってしもた……。そしたら、村の放送で「今からまた次のバンド始まるよー」って言ってくれて、みんなゾロゾロ戻ってきてくれたんです。あー、よかった、みたいな(笑)
⑧WORLD『WHY WHO WHAT』(Meaningless Sound、1995)
ゑでゐ その当時、大阪で対バンしてた人らです。もともとルンペンズってバンドのドラムをやってた子が始めた新しいバンドで、最初に見たとき、結構衝撃受けました。ドラムとツインヴォイスの3人編成のハードコアなんです。
WORLD/WHY WHO WHAT
ゑでゐ 片面しか音は入ってなくて、B面は無音なんです。対バンしたときに買ったか、聴いてほしいと言われてもらったか、ちょっと忘れちゃいましたけど。彼らが今はどうしてるかは知らないんです。ライブはめちゃかっこよかった。
──当時、怖はハードコとの対バンが多かった?
ゑでゐ 怖(COA)の頃の記憶は結構飛んでて、あんまり思い出せないんです。対バンはハードコアだけじゃなかったですね。普通のバンドもスカムなバンドもいたし。ベアーズでブッキングしてもらうとき、最初の頃は対バンがハードコアばっかりだったんですよ。「ハードコアのイベントじゃないやつに出たいです」ってうちらから言いました。自分らがハードコアだって思ってなかったし、ハードコアのバンドは好きやけど、そこに自分らが入ってしまうのは違うと思ってたのかな。
⑨荒井由実『ひこうき雲』(東芝EMI、1973)
──ユーミンはもっと早い時期に聴いてるかなと思ってました。
ゑでゐ ちゃんと聴いたのは、90年台に入ってマッシュルームに行き出してからですね。それまでは流行ってるユーミンの曲はテレビで聴いたりはしてたけど、むしろ「嫌い!」って思ってた(笑)
──ちょうどバブルっぽい時期のユーミンだった(笑)
ゑでゐ そうですね。何がええんよ、くらいに思ってました。だけど、これを聴かせてもらったら「えー、ユーミンてこんな人やったん?」とびっくりして。歌詞カードが黒かったり、そこに載ってるユーミンの描いた絵もすごい好きでした。こんな暗い感じだったんや、とイメージがガーンと変わってしまって。曲もすごいいい。ユーミンとムッシュが一緒にやっててティンパンアレーがバックという映像を知り合いが見せてくれて、それを見てよけいにもっとユーミンが好きになってしまいました。荒井由実の時代が好きでした。松任谷由実まではちょっと行かなかったんですけど(笑)
──この暗さは荒井由実期の特徴ですもんね。
ゑでゐ 今は松任谷期も全然聴けると思うんですけど。
荒井由実 / 雨の街を
ゑでゐ ユーミンにガーンてなるちょっと前くらいにはっぴいえんど周辺も聴くようになりました。須原(敬三)さんが、うちの誕生日に細野さんの『HOSONO HOUSE』(1973年)のレコードをくれたんです。はっぴいえんどを聴かせてくれたんは、マッシュルームの店長さんでした。
──このあたりが歌ものへのスタートラインですか?
ゑでゐ うーん、それもあるかもしれないけど……。最初のきっかけは、灰野敬ニさんと怖(COA)が一緒に録音した時でした。録音中に、一緒にセッションというかたまに「灰野教室」みたいな時間になっていたんです。そのとき「何かストックしてる曲あるでしょ? 誰でもみんな発表してない歌ものの曲を1、2曲は持ってるもんだよ。早くそれをやりなさい!」って言われて。でも、うちらは「えー! 持ってない、どうしよう」ってなっちゃって(笑)
歌ものでうちらが覚えてたオリジナルって、大学時代にやってた、少年ナイフをもっとアホみたいにしたような曲しかなくて。結局それを灰野さんと一緒にやったんです。あとで「あんな曲やってもた。申し訳ない……」ってすごい恥ずかしくなってしまって(笑)。そのとき「ちゃんと曲を作って持っとかなあかんもんなんや」と意識したんです。
──つまり、灰野さんの無茶振りのおかげだったわけですね。
ゑでゐ そうですね(笑)
⑩Skelton Crew『The Country of Blinds』(Rift、1986)
ゑでゐ これは怖(COA)でアメリカ行ったときに買ったんです。
──フレッド・フリス、トム・コラが在籍した伝説のバンド。
ゑでゐ 一時期、レコメンデッド系にすごい凝ってて、スラップ・ハッピーとかも結構好きになったんです。スラップ・ハッピーは2000年に来日したとき京大の西部講堂に見に行って、ダグマー・クラウゼにサインもらいました。次の日、街でもダグマーたちにばったり会って、ちょっとうれしかった。
──こういうレコードは、どこで買ってました?
ゑでゐ 大阪のフォーエバーとか京都のパララックス・レコードとかが多かったですね。フォーエバーでは、なんかようわからんけど買ってみようと思っていろいろ買ってましたね。「失敗した!」と思うやつもあったけど(笑)
⑪Pearls Before Swine『One Nation Underground』(ESP、1967)
ゑでゐ これもアメリカ行ったとき買いました。今でもすごい好きですね。
Pearls Before Swine / Another Time
ゑでゐ 家ではこういうサイケっぽい感じのレコードとか、ソフトロック、ブリティッシュポップ中心で聴くようになってました。もう激しい感じのは聴いてなかったですね。ゑでぃまぁこんでやる曲も、ちょっとずつ書き始めてました。
まぁこん 最初はライブもせずに録音だけしてたんです。
ゑでゐ まぁこんには「はちみつぱいみたいな曲は書けるか?」って聞かれて、曲を書いてたんです。はちみつぱいみたいにええ曲は全然書かれへんけど、とりあえず歌ものを作って録音してました。サイケデリックジャンパーやLSDマーチにちょろっとベースで参加したことも「こういう歌のバンドみたいなのも楽しいな」と思うきっかけになってたかも。あと、須原さんが怖に参加したユニットで、窄(スバリ)というのをやってたんですけど、そこでは須原さんが、頭士奈生樹さんとかオクノ修さんとかガセネタとかのカヴァーを歌ってたんです。そういうのも影響して「ちょっとずつ自分の曲も作らな」みたいな感じになっていたんです。
まぁこん 羅針盤の影響も大きいんじゃない?
ゑでゐ そうやね。山本(精一)さんに「マッシュルームにライヴしに来てください」って言ったら、羅針盤をやってない時期やったけど3人編成で来てくれたんです。それもすごいよかった。
──歌ものの曲が溜まったら録音して、それをゑでぃまぁこん名義の初CD-R(『ゑでぃまぁこん1』2002年)に?
ゑでゐ いや、まだです。最初は『エディとマコト』名義でカセットでライブのみで販売しました。そのあと、CD-Rの『ゑでぃまぁこん1』を作りました。
まぁこん そのCD-RをAlchemy Music Storeに置いてもらっていて。それを田口(史人)さんがたまたま買って、聴いて気に入ってくれた流れじゃなかったかな。
ゑでゐ その頃、東京にもうちのソロで行きました。初ライヴは、早稲田のジェリー・ジェフやったか、高円寺の無力無善寺やったかな。
──ジェリー・ジェフ! 学生の頃よく行ってました。でもあの店はシンガー・ソングライター好きが集まる感じで、無力無善寺とはノリがまったく違う。その両方でできちゃうのがすごいですね。
ゑでゐ あははは、そうなんや(笑)。
まぁこん あのときは、ゑでぃまぁこんじゃなくて「赤馬時計」っていう名義で出たんじゃなかったかな。
ゑでゐ そうやそうや。無善寺では高橋幾郎さん、西村(卓也)さん、川口(雅巳)さん、道下(慎介)くんがバックでうちの曲をみんなで演奏したんです。懐かしい。
⑫Harpers Bizarre『Anything Goes』(Warner Brothers、1967)
ゑでゐ ソフトロックにハマったのは、今の話よりもうちょっと前かもしれないです。ロジャー・ニコルズとかハーパース・ビザールとかを、まぁこんに出会って教えてもらったんです。
Harpers Bizarre
──まぁこんさんがゑでゐさんにこれを勧めた理由は?
まぁこん ただぼくがサイケとソフトロックが好きやったから勧めたんですけどね(笑)
ゑでゐ 周りの人はみんな濃いいから、おすすめされるサイケも濃かった。まぁこんから勧めてもらったこういうのはちょっと新鮮やったんですよ。めっちゃいいと思いました。コーラスも曲の膨らみもすごいふわふわで、ドロ~ンってした感じじゃない。そこに「わー!」ってなりました。
──この流れで聴くと、ふわふわもすごくサイケに感じます。
⑬Tim Buckley『Lorca』(Elektra、1970)
ゑでゐ 須原さんに教えてもらいました。初めて聴いたときすごく衝撃受けて、クラクラしました。結構影響受けてます。
Tim Buckley / Lorca
ゑでゐ 最初からめちゃくちゃかっこいい! ホラー映画はじまるんちゃうか、て思っちゃう(笑)。この人、「うううー」ってお化けみたいな声出すんですよ。それもすごい。
──ジャケットも白黒が反転してるし、どうかしてますよね。でも、怖いけど聴くのをやめられない。
ゑでゐ ジャックスの「マリアンヌ」もそうやけど、この曲もかっちりしたビートがないけどうねりがある感じ。そういうのが好きなんかもしれない。すごい憧れます。こういう昔の怪談映画の音楽みたいな感じを歌ものでやりたいんです。ユーミンとかの影響でポップなのも好きですけど、憧れはこっちのほうが強いかもしれない。
⑭Moondog『Snaketime Series』(Moondog、1957)
──昔の怪談映画の音楽みたいな、という流れですかね。
ゑでゐ ムーンドッグがすごい好きな時期があったんです。現代音楽っぽい感じだけど、ミニマルなテリー・ライリーとかハリー・パーチみたいな感じもあり。この時期、武満徹にもすごいハマってました。横山勝也さんが尺八吹いてる「暗殺」(1964年)の映画音楽が衝撃でした。
Moondog / Lullaby
ゑでゐ この曲も、すごい好きやった。
──赤ちゃんをあやしてるのは、ムーンドッグの奥さんだった日本人女性、スズコさんですよね。
(この後、ムーンドッグの曲につられて猫が起きてきて、しばらく3人で猫談義)
⑮荒木一郎『1969』(CBSソニー、1977)
──最後は、荒木一郎!
ゑでゐ 荒木一郎、今いちばんハマってるんです。
──きっかけは?
ゑでゐ このレコードは、高橋幾郎さんのパートナーで、ダンサーの室野井洋子さん(あの世のできごと)がお亡くなりになったあと、遺品のひとつとして幾郎さんが送ってくださったんです。名前は知ってたけど、ちゃんと聴いたらすごいハマってしまって。今でもこうやって聴くだけでドキドキします。
まぁこん じつはこの企画の提案もらってレコード探してるとき、ゑでゐが手にとって聴き始めたんです。
──本当に最近じゃないですか!
ゑでゐ はい。いちばん最近好きになった盤です。荒木さんいい曲を書いてはるし、歌も全部いいんです。このアルバムでは演奏にビブラフォンがすごく入ってて、ジャックスもそうやけど、そこにグッときて。
荒木一郎 / 空に星があるように
──荒木さんが1969年にカセットテープ音源として自主制作した音源ですよね(LPリリースは1977年)。アレンジもシンプルなんだけどふわふわしていて、プライベート感が強い特別な感じ。そういえば、同じ時期のティム・バックレーもビブラフォンがよく入ってる。
ゑでゐ 歌いあげない感じとか、あんまり大きい声を出さずに歌う感じもすごくよくて。灰野さんが『哀悲謡』(1998年)という歌もののアルバム出してはって、そこで荒木さんの「いとしのマックス」をカヴァーされてたんです。そのときは「ふーん、荒木一郎って人の曲なんや」と思ってたくらいやった。それが今では「え! こんなええ曲をあのときカヴァーしてはったんや」とあらためて驚いてます。
──でも、おかげで今の感激があるわけですから。出会いのすべてはタイミングですよ。この企画が荒木一郎にハマるきっかけになったんだったら、よかったなと思います(笑)
ゑでゐ ほんまにね。ありがとうございます。荒木一郎にハマる前は、最近ずっと少年隊にハマって、そればっかり聴いてたんですけどね(笑)
ゑでぃまぁこん / ひまわり絶叫
【作品情報】
アーティスト:ゑでぃまぁこん
タイトル:ひまわり絶叫/明るい未来を
レーベル:PONG-KONG RECORDS
品番:PK08
Format:7inch
価格:1,500円(税込)
発売日:2022年4月10日
アーティスト:ゑでぃまぁこん
タイトル:いつのまにかわたしたち/帰り道
レーベル:PONG-KONG RECORDS
品番:PK09
Format:7inch
価格:1,500円(税込)
発売日:2022年6月10日