蓮沼執太 『メロディーズ』インタビュー
ーーでは、ヴォーカリストとしてはいかがですか。初めてひとつの作品をとおして歌ってみたことで、また新たな表現の可能性を見出したのでは?
うーん。そこはヴォーカリストというより、あくまでも作曲家、プロデューサー的な判断って感じですね。というのは、そもそも流行歌って、その時代ごとのテクノロジーや技術、音楽の方向性みたいなものがすごい圧力で入り込んでいくものですよね。僕はそこにアプローチしていくのは基本的に刺激的なことだと思っていて。じゃあ、今回はその刺激にどうアプローチしていこうかなと思った時に、「僕もギリギリ歌えるし、やってみてもいいかな」と。
ーーギリギリなんだ(笑)。
それはもう、ギリギリですよ(笑)。でも、たとえば僕の好きな細野晴臣さんとかジム・オルークさんは、自分で書いた曲を自分で歌ってますけど、別に歌手ってわけではないですよね。その2人以外にも同じような境遇のミュージシャンは多いと思いますよね。僕は結果ではなくて、そのチャレンジだったり思想が素晴らしいと思ってるんです。それに、自分が作ったトラックを他の方に歌ってもらうときのインストラクションはとても大変でもあります。だったら、自分で歌ったほうが早いかなと。ヴォーカルに関してはそれくらいのイメージを持ってます。それに、僕がこれまでやってきたのは、環境音にせよ、シンセサイザーにせよ、「目の前にあるもので音楽を作る」ということが主題なので、そういう意味では声も同じなんです。それこそブロンクスから始まったヒップホップじゃないですけど、そこにあるモノを自分なりに使っていくスタイルで、ここまでやってきたので、スタンスは全く変わっていません。
ーーなるほど。テクノロジーといえば、恐らくレコーディングの工程においてもそこは意識していたのでは? というのも、この作品はヴィンテージの機材を使いながら、録音はハイレゾで行っているとお聞きしたので。
その辺りに関しては、もう自然にハイブリッドされていますね。というのも、たとえば60~70年代のシンセを96kHz/32bitのハイレゾで録ると、音の粒が違ったりします。あと僕、フィールド・レコーディングは昔からDSDのフォーマットでしています。その理由は単純で、DSDは空気の入った音がすごくいいんですよね。でも、逆に電子音を録るときはDSDじゃないほうが良いっていう。良い、と言うよりも、僕にそういう好みがあるのですね。なので、結果としておのずとアナログとデジタルのハイレゾリューションが混ざるような方法になったんです。いわゆるアナログやヴィンテージ回帰主義のように、「アナログテープにとおして当時の質感を出したい」とかも特に思わなくて、本当にごく自然に新旧の自分にフィットする様式を選択しています。
ーーヴィンテージそのままのサウンドはさほど好みじゃないということ?
聴く分には好みです。大好きです。ヴィンテージはやっぱり当時の時代感が注入されています。その美味しさが現在ではヴィンテージと呼ばれるわけですよね。そう言った考えを自分の中に恣意的に取り入れようとは思わないんです。僕が気にするのは「その機材が持っている音のキャラクター」だけなんです。そこには新旧の差はあまり無いように思います。そうやっていくと、結果として自然に新旧がハイブリットされた形になるというか。あと、僕は自分の目利き/耳利きみたいなものをずっと鋭くさせていたいんです。そのためには「新しいからいい」「古いからいい」のような固定概念はまずは捨てて、自分自信で判断していきたいということがあります。《つづく》