Last Update 2019.11.8

Interview

“レジェンド”の異名を持つソロ・アイドル 小日向由衣 ロングインタビュー

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眉村ちあき、桐原ユリらを擁する阿佐ヶ谷家劇場を根城とし、一部のアイドル・シーンでその名が知れ渡りつつあるシンガー・ソングライターの小日向由衣が7インチ・シングルをリリースする。レイ・パーカー・ジュニアも驚きのディスコ・ナンバー〈パーティーズ〉、気怠くも涼しげな〈ドッペルゲンガー〉を収録した本作は、まだまだ底が深そうな小日向由衣という個性の(現時点での)両極を捉えた、ある意味で入門編のような仕上がりに。“レジェンド”こと小日向のバックグラウンドにロング・インタビューで迫る。

取材・文:南波一海
写真:畔柳純子

 

 

ーー素朴な質問なんですけど、マネージャーはいないんですよね。完全に一人でやっている。

そうです。

 

ーー電車を頻繁に乗り間違えたりするような小日向さんのキャラを知っていると、一人でよくできてるなと思うんですよ。

間違うのは電車だけですよ!だから世間に知らしめたいんです。ここまでやってこれたんだから偉くない?って(笑)。メールもちゃんとしっかりしてます。「お世話になっております」「先日はお世話になりました」「いついつにこういうのをやるのですがご出演いかがでしょうか」「ご検討よろしくお願いします」って書いてますよ。

 

ーーブッキングも自分でやっているし。

そう!小岩のオル……オルフルズっていうのがすごくいい箱なんですよ。

 

ーーウルフルズみたいになっちゃってますよ。オルフェウスでよくイベントをやってますよね。

組織(※小日向がバンド編成でライヴを行なうときの名義が「小日向由衣 with 組織」)のメンバーがそこで働いていて、その関係もあって。

 

ーー組織はどういう経緯で結成することになったんですか?

去年の秋くらいだったと思うんですけど、ひょんなことから。知り合いに「主催イベントをやることになったんだけど、人集めるのが辛いからやらない?」って言われて、ただ普通に主催やるって言っても人は集まらないから、楽器を弾いてもらうとか特別なライヴができるならいいですよって話をして、その人が「じゃあちょっと声かけてみる」って集まったのが組織なんです。続けるとか続けないとかも特に考えず、とりあえずやろうってことでやってみたら、思いのほか好評で。オタクに「アイドルがバンドでライヴやるとなるとガッカリすることが多いから、そういう気持ちで見に来たんだけど、むしろこっちのほうがいいんじゃないかっていうくらいよかった」って言ってもらえて。その日の打ち上げで感想ツイートとかを読んでて、次もやろっかってことになったんです。

 

 

ーーそれで続いていくことになったと。自分でブッキングするのもそうだし、組織を率いてるのもすごいなと思ったんです。

最初は知り合いの人を通じてお手伝いしてくれた人たちだったので、探り探りだったんですけど、最近は個人的にも各メンバーとコミュニケーションが取れるようになってきました。いまはギターの人が音を引っ張るタイプの性格なので、バンマス的な存在になってます。

 

ーー小日向さんがバンマスという感じではなく。

私は楽器のことが何ひとつわからないので。ここのコードが~とか言われても何の話だかわからないし。

 

ーーそこが面白いところですよね。メロディと歌詞は自分で考えているじゃないですか。どうやって小日向由衣の曲ができていくのか、その制作プロセスも聞いてみたいなと思っていたんです。小日向さんの作品の編曲はこれまで「業者」と呼ばれる人が手がけていて、「業者1」と「業者2」がいるんですよね。それ以前は、ボイトレの先生に譜面を書いてもらい、その譜面を送ると、オケを作って送り返してもらえるサービスを使っていて。

そうです。レッスンの時間にボイトレをせず、私の鼻歌を楽譜に起こしてもらって。簡単な伴奏をつけて、それにこういうのがいいっていうイメージした曲を添付して送るっていう。でも、イメージソングと言われても、これはこれなのでイメージソングはないんですってボイトレの先生にいつも言ってて。

 

ーー自分の頭のなかの曲はできているので、それに近い曲を探すのも違うぞと。

だから、音楽性が似たものじゃなくて、こういう音色を使いたいとかでいいからって。曲調はこうで、テンポはこのくらいですって封筒に入れて送れば、大体そんな感じのものが返ってくるよ、みたいな。

 

ーーそれで返ってきたものは自分の想像とは違うんじゃないですか?

全然違いました。違ったけど、それも慣れました。もうずっとそれでやってきたので。業者1に会うまでは持ち曲が4曲くらいしかなくて、それを歌うしかなかったんですよね。

 

 

ーー自分のオリジナル曲を持つにあたって、編曲だけでなく作詞作曲も誰かにお願いするという考えはなかった?

もともと自分で作ったオリジナルをやりたかったんです。音楽活動を始めたきっかけは、知り合いとバンドをやることになって、どうせならオリジナルを作ってやりたいっていうところからだったのもあって。そのときはスタジオに入ってメンバーがコードをつけてくれたりしたので成り立っていたんですけど、解散して、1人でやっていくことになったときに、どうしても楽器ができなくて。楽器ができなくてもやれるのはオケのライヴですよね。

 

ーーそれでアイドルのイベントに出るようになっていった。

それが地下アイドルって知らないまま。その前まではオリジナルだろうがカヴァーだろうがオケで歌っていいと思ってなかったです。楽器ができる人と一緒じゃないとライヴハウスに出ちゃいけないと思い込んでたから、変なバンド募集みたいなのに引っかかってお金払っちゃったりとかもして……。

 

ーーそうなんですか。

行ってみたらセミナーみたいなところで。このなかからヴォーカルを選びたいと思います、トレーニングを受けて自分を磨けばきっとできます、みたいな感じの。そこにお金払っちゃった(笑)。

 

ーー人の夢を搾取する典型的な情弱ビジネスじゃないですか!

そうそう。それからは応募なんてしないと思いました。私が集客できるようになれば自ずと一緒に曲を作りたいですって言われるはずだと思って、地下のイベントに出てましたね。イベントは秋葉原界隈だったから、“でも そんなんじゃ だめ”(「恋愛サーキュレーション 」)とか歌ってみたりもしてました。その会場で盛り上がってる曲を覚えて、セットリストに入れて。オリジナル曲は封筒送って作ってもらったのがあったから、そこから2曲入れて、3曲15分でやってました。ここで頑張って人が集められるようになれば、オリジナルをもっと作れるようになるし、バンドにお金払って頼むこともできると思ってました。そしたら、時だけが経ち(笑)。

 

ーー状況は変わらなかった。

そこに来ている人たちがオリジナルを望んでいるかって言ったら、そういうわけでもなかったというのに気づかず。カヴァーやらないと出ていっちゃうし、有名な曲のイントロを聴いて「あの曲だ。中入ろうぜ」みたいな感じなので。

 

ーー知っている曲を聴いて盛り上がりたいという地底現場だったと。

だから知らない人のオリジナル曲で動くわけがないんですよね。きっと、自分の好きな曲を歌ってくれるアイドルが身近にいて、その人と喋れるっていう環境が好きなんだと思う。同じようなものが好きな人が集まってるから、アイドルの恰好も曲も同じようなものになっていくのは当然なんですよね。そうなると何が違うのか、接客がうまいかどうかなのかってことになっていく。私はこんなことがやりたいわけじゃないって思ってました。

 

 

ーーそもそも歌いたい、曲を作りたいという気持ちがあるなかで、楽器に触れてみようと思ったりは?

しました。ピアノは7年間習ってたんですよ。でも、才能がなさすぎて。「7年間よく続けたね。弾けなくても偉かったね」って言われただけで終わりました(笑)。幼稚園から中学1年までやってました。

 

ーー身につきそうじゃないですか。

一番吸収力がある時期ですよね!まるで英才教育のように習ってたのに、楽譜も読めないんですよ。「人によっては辞めることも大切だよ」って言われて。

 

ーーそれはつらい。

やりゃあいいってもんじゃないんですよね。この活動をしていくなかで楽器弾いてくれる人が見つからないわって気づいたときに、背に腹は変えられないから自分でやるしかないなと思って、何年か前にギターを練習したこともありました。3ヶ月無料コースみたいなところに通って。ドレミファソラシドドシラソファミレドくらいはできたんですけど、ちょっとコードを弾いてみようってなったときに、全部逆に押さえてたんですよ。弦を。

 

ーーそれだと綺麗に和音が鳴らないでしょう。

音がおかしいってずっと思ってたんですよ。チューニングやっても合ってるのに弾くとおかしいから「なんで!」と思って。教えてくれない先生も悪いと思うんですけどね。当時は熱心に取り組んでたので気づかなかったんですけど、半年前くらいに、私は逆に押さえてたってことに気づいたんですよね。

 

ーーつい最近!

友達が「ギターやりたいんだよね」ってギターを触って、ものの30分くらいでスピッツの曲を弾き出したんです。「すごいね!」ってビックリしてたら「こんなの見ればできるじゃん」って言うから見せてもらったら、私、ずっと逆さまで押さえてたんだって(笑)。そんな感じだったのもあって、心が折れて休むこともあって。

 

ーーそれが2016年の頭で、その年の9月まで8ヶ月休んでいるんですよね。ブログを遡ると、ほかにもしんどそうな時期が結構あって。「うつ病討伐記」を書いていたのが2012年の秋でした。

嘘でしょ!そんなに掘らないで!なんで読んでるの!

 

ーー普通に読めたので。

もう消します!口を封じないといけない人間がひとり出てきてしまった(笑)。あのときは変な事務所でモデル歩きの練習をさせられてた時期ですね。まだオケでライヴができるって気づいてなかったときかな。でも、たしかに悩んでいる時期は長いですよね。なんで辞めれないんだろうって感じでしたもん。それさえ投げ出しちゃえば毎日結構楽しく生きていけるのに。

 

ーーそれでも続けてきて。

辞めれなかったのは、本当にやりたいことができてなかったからだと思うんですよね。オリジナルをやるにしても、誰かの提供曲でよければできたんだけど、自分で作ることにこだわってたから、「作ってあげるよ」って言われても「大丈夫です」って断ってたし。Tシャツにパニエ着て、ザ・地下って感じのなかでやってましたね。

 

 

ーー活動が変化してきたのはここ1年くらいのことですよね。

そうです。思ってる通りのものを作れるようになったのが最近のことなので……いやぁ、せめて5~6年前にいまの形でできてればなぁ。

 

ーー紆余曲折があっていまに辿り着いたわけだから、決して無駄ではないと思いますよ。あとになってそのときの経験が活きることもあるだろうし。

そう信じて活動します。あと、ネットでの在り方を考えます(笑)。昔のことってそんな簡単に遡れるんだ。

 

ーーブログは残しておいてもいいと思います! 振り返ると、なかなか変わらなかった環境が変わっていったのはどのタイミングだと思いますか?

休んでからです。

 

ーーさっき話した2016年ですね。そのタイミングで絵恋ちゃんの存在を知ったりしたんですよね。休むことで自分がいたシーンを落ち着いて見れたところはあるんですか?

客観視できたのはあります。毎日のようにライヴがある状態が何年も続いていて、ちょっとした配信とかも出ていて、なにかしらやってないと死ぬくらいの感じだったので、ワケがわからなかったんですよ。

 

ーー休み明けから、どう変えていったんですか?

最初は前に出ていたところと同じところで出てました。「休んでたんですけど、もう一度やろうと思ってます」ってメールを送って。ただ、一度離れてみてわかったことがあって。一生懸命やってるときは「今日は4人呼んだ。1人だった。ゼロだった」っていうのがすごく大きな差に見えていたし、「今日トリをやってる子は4人呼んだらしいから私も4人呼ばないとトリはできない」とかって考えてたんですよ。「カヴァーしか歌わないイベントで一番手をやっているようじゃこれより大きいイベントには出れない」って。でも、離れてみたら、「1人の人も4人の人も誰ひとり知らない存在だし、ここに出てる時点で変わらなくない?」って気づいたんです。

 

ーーとても局所的な争いだぞと。

そうです。私はやりたいことをやるために復活したので、たとえ毎回同じようなセトリになったとしても、極力カヴァーを減らすことにしました。「君の知らない物語」とか「初恋サイダー」をセトリに入れると、オリジナル曲をやってる人だってなかなか気づかれないんですよ。オリジナルを聴いてもらうには、オリジナルをやっている人っていう印象を持ってもらわないと話が進まないんです。そうしていくなかで、業者1と出会って。

 

 

ーーどういうきっかけなんですか?

対バンする運営の人とかに、「私は鼻歌で作るので、それに応えてくれる人を探しているんです。誰かいたらお願いします」っていうことを言うようにしていたら、出会うことができました。曲が揃うまでがキツかったですけどね。当時、まわりはカヴァーの人ばっかりだったし、そっちのほうが盛り上がるので。私はオリジナルでやると決めたし、間違ってないと思うんだけど、やっぱりカヴァーやったほうがいいのかなっていう葛藤もあって。

 

ーー一度冷静になったとはいえ、まわりがそればかりだと悩みますよね。

私が幸運だったのは、近くに眉村ちあきがいたこと。眉村がオリジナルで勝負してて、お客さんが1人だろうが2人だろうが「悔しい!」って言いながら頑張っていたし、あと、ギターが弾けるからSSW界隈にも出ていってたんですよね。「私が出るイベントはカヴァーをやってる人が1人もいないし、オリジナルをやらなかったら逆に恥ずかしいよ」って言ってくれたんです。「レジェンドのまわりにカヴァーをやってる人が多いだけで、全然恥ずかしいことじゃない。早くこっちに来なよ。そこからがスタート地点だよ」って。

 

ーーそこでブレずにいられたと。業者1は、それまで作っていた曲に比べたら自分のやりたいことに近づけたんですか?

7割方くらいは。だた性格に難があって、ちょっと難しかったですね。編曲がどうというより、説得に時間がかかって。こういうのがやりたいって言うと、「それ、お客さんのニーズ掴めてますかー」みたいな(笑)。「本当にそれでいいと思ってますかー。僕は当たりの曲しかやりたくないんですよー。こだわり持ってやってるんでー」って。

 

ーーすごい!そういう人だけど、何曲かは一緒に作ったんですよね。

まぁ、業者2と出会っちゃうと霞みますけどね(笑)。〈ドッペルゲンガー〉のお陰で業者2と出会えたので、繋がってはいるんですけど。

 

 

ーー業者1はある日を境に連絡が途絶えたんですよね。そのあたりのことも聞いてみたかったんです。

「今月いついつが大丈夫ですけど、どうしますか?」って送ったら、「その日厳しいんで、確認して今日明日中に戻します」っていうのが最後(笑)。いつもそういう感じだったんですけどね。こっちが何度も詰めて詰めて、やっと日程が決まるって感じだったので。だから多分、いまでもめっちゃしつこく連絡すれば連絡取れると思います。

 

ーー気分屋なんですかね。

「俺をその気にさせることも仕事だから」「俺に編曲してもらえるなんてラッキーですよ」みたいなこと言うんですよ。

 

ーーお金払ってるのに!それをよく続けられたなと。

だって、その前が茶封筒だったから。ボイトレ行かなくなってたから譜面にも起こせなくて、作る手段を失っていたので。露頭に迷ってた期間を思えば、「そうです!あなたは天才です!」って言えます。

 

ーー業者1をガンガン乗せてあげますよと(笑)。

でも、妥協したくないから、そこ違いますって伝えるとまた大変なんですよ。〈ドッペルゲンガー〉も最初はモンパチみたいな曲調で作ろうとしてたんですよ。(シンバルの音で)シャンシャンシャンシャンドッペルゲンガードッペルゲンガーみたいな。

 

ーー青春パンクみたいな。ちょっとハマりそうですけど(笑)。

「そういう感じじゃなくて……」って伝えると、「これ以外に合うのないですよー」って言うんですよ。「(申し訳なさそうに)こういうふうにやってみるだけでも……。きっとイマちゃんならできると思うんですよ」って伝えて、やっていくうちに「結構いいですね。俺、天才だわー」ってなってきて。そこですかさずYouTubeで「こういう音を入れたいんです」って伝えたりしてました。

 

ーー気分を乗せつつアレンジしてもらうと。鼻歌を丸投げするわけじゃなくて、一緒に作っていくんですね。

それがしたかったんですよね。違うんだよってイライラしたくないんです。

 

ーー性格に問題はあったけれど、小日向さんのスタイルに応えてくれる人が業者1だったと。ライヴでは手応えを感じるようになったのでしょうか?

「アイドル三十六房」(タワーレコードの配信番組)に音源を持っていけたんですよね。そこで、いいか悪いかじゃなく、まずはオリジナルを歌ってる人という印象を付けられたのがよかったです。そこが肝でした。そこから小林清美先生がK&Mに呼んでくれたのが入り口になっていきました。清美先生のイベントはオリジナル曲をやってる人がほとんどじゃないですか。

 

ーーそういう経緯だったんですね。当初は“妄想由衣ちゃん”と名乗ってました。

そういうキャッチフレーズがあったほうが覚えてもらえるんだと思って自称してたけど、誰も呼んでくれてない(笑)。いつも妄想して勝手に楽しくなったり落ち込んだりしているからそういうふうに名乗ったんですけど、噛み合わなかった……。

 

ーー愛称は“レジェンド”が定着してますもんね。ともかく、復帰して業者1に出会い、オリジナル曲にこだわったことで出るイベントも変わっていって。 

ちょっとずつ車線変更して。あと、当時の阿佐ヶ谷家劇場は神田MIFAと同じようなメンツでイベントやってたんですよね。でも、交通の便が悪いからMIFAより演者が集まらないんですよ。集まらないから、まんぼう(桐原ユリ)と誰か、みたいな感じでやってましたね。私は眉村と仲がよかったので阿佐ヶ谷に遊びに行っていたら、そこにまんぼうがいて、3人で仲良くなっていきました。私もK&Mばかりっていうのもなぁって思っていたのもあるし、阿佐ヶ谷家は少ない人数でも成立する大きさなので、気負ったりせずにイベントができるなと思って、オリジナルでやってて面白そうな人を誘ったりして、イベントをやるようになりました。

 

 

ーーそうして活動の幅が広がっていくなかで、業者2に出会うわけですね。

業者1の性格に難があるっていう話をわぽさん(阿佐ヶ谷家劇場を運営する会社じゃないもんの石阪氏)にしていたら、「知り合いにできる人がいるから声をかけてみるね」って言ってくれて。試しに既存の曲がどんな感じに仕上がるかっていうのをやってくれることになったので、曲を渡したんです。それがわぽさんで止まってたんですけど(笑)、そこで業者2が小日向由衣って名前だけは覚えてくれていて。Twitterとかで名前を見るようになってきたなってタイミングで〈ドッペルゲンガー〉が耳に入ったらしくて、「自分ならもっといい編曲ができる」って思ってくれたみたいなんです。

 

ーー「わぽさんから話だけ聞いてた人の曲じゃないか」と。

それで、向こうから連絡をくれて。まずは話だけでもってことで会ってみて、〈パーティーズ〉のふわっとしたイメージを伝えたら、「いけそうだからちょっとだけ作ってみる」と言ってくれて。そこからですね。もう、最初の会話が楽しかったんですよ。だとえば、業者1だと「えー。それだとテンポが変わりますよねー」とか言われるけど、業者2は「テンポが変わるけどいいのかな?」って確認してくれる。私はテンポが変わることさえわからないんですけど(笑)。業者2は鼻歌を録ってから音をつけていくスタイルなんですけど、業者1はまず説得しなきゃいけないので。

 

ーーそれは本当に業者なのかって感じですけど(笑)。でも、業者2のやりかたはやりやすいですね。

そうなんです。最初はドラムの感じから決めていって。「違う、違う、違う、あ、これです」みたいな。そうじゃないっていうときにすぐ方向転換してくれるんです。話が早くて楽しい。「ポロロンってかわいい音を入れたい」「もうちょっとオルゴールに寄せたい」「結局最初のほうがよかったね」っていうやりとりができる。

 

ーー業者1の話を聞いたときも思いましたが、小日向さんは相当細かいところまで指示して一緒に作っているんですね。

そうなんです。意外ですよね(笑)。

 

ーーいまはやりたいこともやれている?

はい。続けてこれてよかったです。最近、そういうテーマの曲ばっかり作っちゃうんですよね。人生でこんなの無駄だと思ってる人ってたくさんいると思うんですけど、私ほど無駄をしてきた人はなかなかいないので(笑)。でも、2年前だったら考えられないですよ。レコードを出さないかって言ってもらえるなんて。何年やっても先が見えなかったんだから、一度休んで復帰してもせいぜいこのくらいっていうのは見えるじゃないですか。茶封筒時代の過去の曲をまとめました、くらいで終わってたかもしれないけど、いい方向に進んでくれたなと思ってます。病まないように、やりたいと思ったことをできるだけやる。それをやっていたら、いずれなにかに繋がる。私は繋がった。結果は出てないし、これから出るのかどうかもわからないけど、充実してます。

 

 

 


リリース情報

アーティスト:小日向由衣
タイトル:パーティーズ / ドッペルゲンガー
発売日:2019年7月31日(水)
レーベル:なりすレコード
仕様:7インチ
品番:NRSP-766
価格:1,500円(税抜)
JAN:458243213551

収録内容:
A面 パーティーズ
(作詞・作曲:小日向由衣 編曲:業者2)

AA面 ドッペルゲンガー
(作詞・作曲:小日向由衣 編曲:業者2)

 


ライブ情報

小日向由衣生誕ワンマンライブ 夢じゃないよ!

日程:2019年7月27日(土)
開場: 17:30 / 開演:18:30
場所:目黒鹿鳴館
前売3000円 / 当日3500円(+ドリンク代)

出演:
小日向由衣
小日向由衣with組織

詳細はこちら
https://eplus.jp/sf/detail/2791460001-P0030001P021001?P1=1221